#30

93分20秒
93:20

読了時間:約5〜10分

 二〇一二年五月  
 
 その晩、いつものようになかなか寝つかない息子を胸に抱えてゆらゆら揺らしながら、僕はテレビでサッカーを見ていた。
 夫婦のとりきめで、週末の子どもの寝かしつけは僕の担当である。しかしこれが難しい。ようやく寝ついたと思っても、ベッドの上に横にした途端に泣き出すなんてのはざらで、まあ寝ない。任務を完了するのに一時間どころか二時間かかることもある。
「おおい、いい加減に寝てくれよお」
 すぐ目の前のふくふくとした顔の真ん中で、ガラス玉のような透き通った瞳がきらきらと輝いている。
 こりゃ、今夜も長期戦になるな……。
 妻はすでに寝室で休んでいる。もう、このまま抱っこしながら映画か何かでも見て、勝手に寝てくれるのを待とう。
 そう思ってテレビを点け、チャンネルを切り替えていると、リモコンを操作する指がサッカーの試合で止まった。
 ああ、シティか。
 
 今年の正月明けに、親父が死んだ。
 その親父との最後の会話が、シティの話だったことを思い出す。
「お前も試合、見てくれよ」
「興味ないよ、海外サッカーなんて」
「いいから。今年のシティはすごいんだ」
 親父はシティのファンだった。弱小チームだった頃から、もう十年近く。
 しょうがない、たまには親父に付き合ってやるか、という気分になったのは、この試合がシーズンの最後の試合だと実況のアナウンサーが話していたからだ。
 今年のシティ。それを見られるのは、どうやら今夜が最後らしい。
 遠くマンチェスターはもう夏のような日差しで、スカイブルーのユニフォームが鮮やかに、まさに空のように輝いている。
 
 *
 
 親父がどういう人間だったかということは、あまり他人には説明したくない。
 賢い人間ではなかった。そのくせになぜか野心だけは人一倍あって、他人に雇われることを嫌い、自分でいくつも事業を興しては、うまくいかずに借金に追われる、そんな父親だった。
「俺は、いつか成り上がってやる」
 口には出さずとも、心の中でそう思っているのは誰の目にも明らかで、いつもそんな態度で他人と接するからろくに人も寄りつかない。子どもの目から見ても、うだつの上がらない、どうしようもない男だった。
 それに、なんだろう、親父にはそもそも、人生の勝ち運、みたいなものがなかった。
 ときどき競馬場に連れて行かれたが、親父が買う馬券はことごとく外れた。一番人気の馬を買っても外れる。小さいとき、東京ドームで一緒に応援したのは巨人ではなく日本ハムだった。株に手を出した途端、バブルが弾けた。母によると、結婚前に父が使っていたビデオデッキはVHSではなくベータだったらしい。親父は常に世の中の、弱い方、であり続けた。
 
 *
 
 そんな親父と、海外旅行をした思い出が一度だけある。
 僕が大学一年生のときだ。当時、親父の兄貴にあたる伯父がイギリスに住んでいた。
 親父と違って頭が良く、偏差値の高い大学を出て、誰でも知っているような大きな会社に就職した伯父は、その数年前からマンチェスターにある支社で海外勤務をしていた。
 伯父は、僕が伯父と同じ大学に合格したことをいたく喜んで、僕ら一家を一週間、イギリスの自宅に招待してくれた。航空券の費用はすべて伯父持ちだった。
「僕らの時代のあの先生はまだいるの?」
「まだいますね。名物みたいな教授です」
「昔から名物だったから。見た目がもう、ね」
「ははは。ですよね、わかります」
 僕らが大学のキャンパスの話ばかりするものだから、へそを曲げてしまったのか、せっかく招待してもらったというのに、親父は伯父の家で終始機嫌が悪かった。ちなみに親父の学歴は高校止まりである。
 観光地を案内されても、親父はつまらなそうだった。言葉の壁におろおろして卑屈になるか、足が疲れたとか飯が不味いとか文句をつけるばかりで、どこに行っても、何を見ても、無感動。いつ兄弟の(あるいは夫婦の)喧嘩がはじまるかとこっちがヒヤヒヤしたくらいだ。とはいえ、親父と違って伯父も母も大人だ。そもそも親父が外国の文化にも歴史にも宗教にも何の関心もない人だということは、みんなよくわかっていた。見放されていた、と言ってもいいかもしれない。
「観光がつまらないなら、こんなのはどうだ?」
 伯父に誘われて、唯一、親父が身を乗り出したのが、本場のサッカー観戦だった。
 
 *
 
 メインロードというそのスタジアムは、とても古かった。
「戦前の建物だから、もう限界だよね。新しいスタジアムができるらしいよ」
 何かあるといけないから、ということで母と伯母は家で留守番をして、伯父と親父と僕の三人だけで見に行った。
「本当はオールドトラフォードの方に連れて行ってやりたいんだけどな」
 伯父は、そう言って残念がった。
 その日の試合は、ダービーマッチだった。熱気がすごかった。怖いくらいだった。入場する前は、何かあるといけないから、という伯父の言葉の意味がよくわからなかったけれど、試合がはじまってから、確かに何かあるといけないと僕は理解した。
 デイビット・ベッカムがゴールを決めた。赤いシャツのマンチェスター・ユナイテッドについては、スポーツにたいして興味のない僕でも知っていた。
「マンチェスターといえば、やっぱり赤い方だからね」
 そう言って僕にユナイテッドの選手のことをいろいろと教えてくれる伯父の横で、
「いや、俺は赤い方は気にくわねえな」
 と、親父は水色のホームチームを応援しはじめた。
 スタンドに三人で並んでサッカーを九十分間見て、ようやく僕はわかった。親父がいつも「弱い方」であり続けるのは、出来のいい兄貴への対抗心からなのだ。言葉は悪いけれど、成功者である伯父さんとは真逆のことばかりしているから、親父はいつも落伍者なのだ。
 親父がシティのファンになったのはそれからだ。「マンチェスターの弱い方」だったシティは、親父によく似合っていた。
 
 *
 
 僕はといえば、スポーツにはこれまでできるだけ興味を持たないようにしてきた。
 オリンピックとか、ワールドカップとか、WBCとか、世間が話題にするような国際大会のときは日本代表の試合を見るけれど、どこかの特定のチームを応援するとか、わざわざ球場やスタジアムに足を運ぶようなことはなかった。
 理由は単純だ。僕は親父のようになりたくなかった。スポーツには勝者と敗者がいる。親父の血を引いて、「どちらかというと自分も敗者の方である」と、自分自身を認めるのが怖かったのかもしれない。
 
 その親父が亡くなったのは、今年の正月の三が日が明けてすぐのことだった。心筋梗塞。実家の風呂場で倒れた。突然のことだった。
 僕と母にしてみれば、それまでに親父の借金がなんとか片づいていたのが不幸中の幸いだった。形見分けするようなものなんてろくに残っていなかったけれど、寒くなると親父がいつも首に巻いていたシティの水色のマフラーだけ、僕がもらった。
 
 最後に親父と話をしたのは、生まれたばかりの子どもを連れて、年末に帰省したときだ。
 親父はやけに機嫌がよく、いつにもまして饒舌だった。
「アグエロが来てくれたんだ。今年は強いぞ」
 親父の話によると、シティは最近、かつて伯父と三人でメインロードで見たときのシティから、大きく変わったらしい。オーナーが新しくなり、いい監督といい選手が来るようになった、これなら優勝も夢じゃない、と親父はやけに浮かれていた。
「なんたって、オールドトラフォードでユナイテッドに6対1だぞ。お前、信じられるか?」
「それはすごいことなの?」
「すごいなんてもんじゃないよ。最高だよ」
 僕だけでなく、僕の妻にも、まだ言葉すらわからない息子にも、親父は何度も何度も飽きずにその話を繰り返した。
 アグエロ、バロテッリ、ジェコ、ヤヤ、シルバ……おかげでその年末年始だけで、僕の妻までがシティの選手の名前をおぼえてしまった。
「お前も試合、見てくれよ」
「興味ないよ、海外サッカーなんて」
「いいから。今年のシティはすごいんだ」
「はいはい」
「優勝のチャンスなんだよ。見てくれよ。お前んとこ、CSも映るんだろう」
 
 *
 
 マンチェスター・シティ対QPR。
 それは、ただのシーズン最後の一試合ではなかった。
 シティとユナイテッドが同じ勝ち点で並んで迎えた、タイトルを賭けた大一番。得失点差ではシティがユナイテッドをリードし、シティは今日勝てば文句なく優勝が決まる、という試合である。
 
 前半に幸先よく先制したシティだったけれど、後半開始早々、DFのミスからQPRに同点に追いつかれてしまう。
 しかしその後、QPRが退場者を出したことで、シティは選手がひとり多い上に残り時間が三十分以上も残されているという、優勝のためのとても有利な状況を手に入れた。
 別会場ではユナイテッドが相手をリードしていたけれど、とにかくシティはあと一点取って目の前の試合に勝ちさえすればいい。それはさほど難しくないことのように思われた。
 ライバルの敵地で六点を取ったチームである。ホームで格下相手に一点取ることはたやすいはずだ。
 親父がこの試合を見ていたら、さぞ興奮しただろうな。僕はその場面を想像して、思わずふんと鼻を鳴らした。
 もし冬に風呂場で倒れたとき一命を取り留めたとしても、この試合を見たら血圧が致死レベルまで上昇していただろう。
「しょうがない。今夜は親父のかわりに、優勝シーンを見届けてやるよ」
 
 ところが後半二十分、あろうことかシティはひとり少ないQPRに決勝ゴールを決められてしまった。
 スタンドの映像が映し出されると、水色のシャツを着た大勢の男たちがみな揃って頭を抱えている。中には涙目になっている者もいる。
 やっぱり、弱い者は弱い者なのか  
 なんだか、このスタンドのどこかに親父が紛れこんでいるような気がした。
 シティは全力でゴールを取り返しにいくが、なかなか決めることができない。別会場でユナイテッドがこのまま勝利を収めるとすると、シティは優勝のためにあと二点を取って逆転することが必要なのだ。
 時間が刻一刻と過ぎ、スタンドがだんだん悲壮な雰囲気になっていくのが画面越しに伝わってきた。
 視線を落とすと、息子は僕の膝の上で目をとじてすうすう寝息を立てている。
 ああ、よかった。これで僕も寝られる。肩の力が抜ける。でも、だからといってテレビを消して横になろうとは思わなかった。
 いつのまにか僕は拳を握りしめ、シティを応援していた。
 
 *
 
 1対2のスコアのまま、いよいよ後半はアディショナルタイムに突入した。
 シティのコーナーキック。放り込まれたボールに、中央でシティの選手がヘディングに競り勝つ。ボールはQPRのキーパーの身体のすぐ横をすり抜け、ゴールの中でバウンドした。ようやく同点。ゴール裏のサポーターが沸く。
 シティは最後に意地を見せた。
 親父、これでもう十分だろう、シティは頑張ったよ。
 そう思って、僕は気づいた。
「お前も見てくれよ」
 という親父の言葉は、つまり、「俺はついに勝つぞ」ということだったのだろう。ようやく自分が勝者になる。その場面を、きっと僕に見せたかったのだ。
 僕もまた、ひとり息子の父親になって、その気持ちがよくわかる。
 シティが優勝するところを親父に見せてやりたかった。そうと思うと同時に、でも、引き分けで優勝を逃す場面を親父が見ずにすんでよかった、とも僕は思った。
 
 そのときだった。
 シティが再びQPRのゴール前に攻めこんだ。ペナルティエリアの手前でFWとDFが競り合う。次の瞬間、こぼれたボールが、エリアに走りこんだシティの選手の前のスペースに転がった。水色のシャツがボールを前に押し出す。タックルにきたDFを交わす。右足を鋭く振り抜く。おおっ。自分の身体が勝手に前のめりになる。
 93分20秒。
 それは一瞬の出来事だった。
 ボールがゴールネットを揺らした。
 うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!
 思わず僕はその場で飛び跳ねた。
 胸に抱いた息子がソファの上にずり落ち、目を覚ましてぎゃあと泣き声を上げる。
 アグエロォオオオ!
 実況が叫んでいるのか、自分が叫んでいるのか、わからない。もしかしたら、親父が叫んでいるのかもしれない。
 水色のシャツを脱ぎ捨てたアグエロが、それをぶんぶんぶんぶん振り回しながらピッチの上を駆ける。スタンドが揺れている。映像も揺れている。立った今、まるで何かがそこで爆発したかのようだ。
 親父、勝つぞ! ついに勝つぞ!
 シティが勝つぞ!
 僕は胸の中で、何度も何度も繰り返し叫んだ。

FOOTBALL SHORT NOVELS COLLECTION :
FOOTBALL AND LOVE SONG
Written by Masashi Fujita

memo

この春はシティを退団したアグエロのキャリアを振り返るネット記事がたくさんリリースされて、それに目を通しているうちに当然のように2011-2012シーズンのQPR戦の動画にたどり着き、気づいたらそれを何度も繰り返し再生していました。いくら見ても見飽きないのが不思議です。ペップが、チャンピオンズリーグで優勝しても93分20秒には敵わない、みたいなことをコメントしていましたが、古くからシティを見続けている人にとって、「伝説」といえば、やっぱり後にも先にもこれになるのでしょう。優勝争いのライバルが、永遠のライバルであるユナイテッドだった、というのも、あの爆発的な喜びにさらに油を注いでいる感じがします。赤と水色の、強者と弱者のコントラストをテーマにして、遠く離れた日本の親子の話で書いてみました。