#12

マドリディスタと白い息
Winter white breath

読了時間:約5〜10分

 ミツオはよく、あたしの部屋にやってくる。
「おーう」
 とよく意味の分からない中途半端なあいさつで部屋に上がり込んでは、勝手にテレビを点けて野球やサッカーの中継を見たりする。
 
 昔からアンチ巨人で、金で優勝買ってそんなに嬉しいかねえ、が口癖のくせに、そういう自分はマドリディスタという矛盾した男だ。
 
 ミツオはこのあいだ、半年付き合った彼女と別れた。めいちゃん、というその彼女のことが今でも好きで好きで好きでしょうがなくて気が狂いそうなくせに、なぜか、めいちゃんの部屋ではなくあたしの部屋にやってくる。その点でも大いに矛盾している。
 
 ミツオが部屋に来るときは、まず、メッセンジャーの通知がピロンと鳴る。今夜、ひま? という定型化された短いテキスト。たいていは昼休みだ。
 
 あたしは不動産屋で働いている。すぐにメッセージを返して、午後の仕事のあいだじゅう、今夜は何を作ろうかなー、と考える。そして定時で会社を出て、駅前のスーパーに寄り、ふたり分の夕飯を用意しながら彼が来るのを部屋で待つ。
 
「いやー、いつも悪いね。金、払うよ」
「いいよ。一人分だと材料余らせちゃうからちょうどいいんだ」
 
 ミツオはたいていコンビニの袋をシャカシャカぶら提げて来る。中にはビールが二本入っている。発泡酒ではなく、ヱビスとか一番搾りとか、ビールだ。そしてあたしたちはスポーツ中継を眺めながら、どうでもいい話をする。試合が終わる。じゃあまた、と言ってミツオは帰る。
 
 中学のときに知り合った友達のことを、幼馴染みとはいわない。でもミツオとあたしはまるで幼馴染みみたいだ。
 
 茨城県のひたちなか市というところで同じ中学に通っていたあたしとミツオは、別々の高校に進学し、別々の大学に合格して上京した。二年後、うぉー、久しぶりじゃーんとか言って地元の成人式で再会したとき、なんと偶然アパートが近所であることが発覚した。
 
「え、おまえ江古田なの? 俺も江古田。南口なんだけど」
「あたしも南口だよ。新江古田の方が近いけど」
「まじで。え、どこどこ、俺ドミノピザのすぐ近く」
「うそ、超近いじゃん」
 
 それから五年。社会人になった今も、あたしもミツオも同じ町で暮らしていて、同じ駅と、同じスーパーと、同じコンビニを利用している。
 
「恋愛は勝ち負けじゃないっつーけどさ、勝ち負けだよな」
 
 最近の話題はミツオの失恋話に尽きる。
 
「しかもボロ負けだしね」
「うるせーよ」
 
 十二月に入って朝晩が一気に寒くなり、ニトリでこたつを買ったこともあって、ここのところミツオとは鍋ばかりをつついている。市販のスープを買ってくれば、あとは野菜や肉を切るだけでいいから簡単だ。
 
 日本シリーズが終わって野球中継もなくなったので、最近はハードディスクに録画したサッカーをよく一緒に見る。マドリディスタのミツオは、あたしが契約しているWOWOWのリーガを勝手に録画予約するので、知らぬうちにあたしの部屋のレコーダーも熱烈なマドリーの信者みたいになってしまった。
 
「コエントラン、カッコいい」
「いやー、俺は断然マルセロ派だけどね」
「ポルトガル同士、ロナウドとは合うって」
 
 中学のとき、あたしたちはよく教室で野球とサッカーの話をした。当時はまだ、ラウールもジダンもベッカムもいた。セルヒオ・ラモスが入団したばかりの頃だ。ロナウドといえばブラジルの怪物の方だった。
 
 ミツオのことを、あたしは昔からミツオと呼び捨てにしている。
 平成生まれなのに、昭和の匂いしかしない名前。やけに愛着を感じる。まるで実家の食器棚の奥にしまわれた、木製の汁椀みたい。中学のとき、あたしは毎日そのお椀で、母の作った、煮詰まって味の濃くなりすぎた味噌汁を飲んでいた。おかーさん、煮干し入れたままにしないでよーとか文句を垂れながら。まだ誰にも恋なんかしていなかった頃だ。
 
「ミツオはさ、クリスマスどうすんの?」
「どうもしねえよ、ふざけた質問すんなよ」
 
 ミツオは本気で、心底、傷ついている。喪失感と未練に打ちひしがれている。もう何週間も、夜寝る前はずっと彼女のことを考えているらしい。
 たまにこたつの中で、つ、と足の親指が触れる。何も気づかないみたいに、あたしとミツオは互いの足をわずかに引く。
 
 *
 
 クリスマスが一週間後に迫った日曜日、珍しく事前の連絡を寄越さずに、ミツオはあたしの部屋にやってきた。夕方の六時半を過ぎてからアパートのチャイムがぴぽーんと鳴った。
 
「おーう、今夜ひま?」
「まあ、この時間にサザエさん見てるくらいだからね」
「今日クラブワールドカップだし、一緒に見ようと思って」
「え、決勝今夜だっけ?」
「そうだよ、元茨城県民のくせに忘れんなよ」
「夕飯、用意してないよ」
「いいよ、あとでコンビニ買いに行こうぜ」
 
 クラブワールドカップの決勝は、ヨーロッパ王者のレアル・マドリー対鹿島アントラーズの組み合わせ。
 
「本当は俺、チケット持ってたんだよな」
 
 ミツオがそう言ったのは、キックオフの直前だった。
 
「は?」
「横浜国際の、バックスタンド。二階の上の方だけど」
「え、なんで行かないの?」
「友達に売った」
「うわー、なんて勿体ないことを」
 
 だってさあ…、と言ったきりミツオが黙ったので、あたしは察した。
 
 めいちゃんと一緒に観に行くつもりだったんだね、きみは。少しでもサッカーに興味を持って欲しくて、サッカーの話題で盛り上がりたくて、めいちゃんを誘ったんだね。それでOKもらったんだね、まだチケットが発売されたばかりのときは。なのに別れちゃって、ひとりで観に行くのが悔しくて、かなしくて、さびしくて、誰かに譲っちゃったんだね。
 
 *
 
「まあ、どうせワンサイドゲームだろ」
 
 試合が始まって早々、ミツオがそう言うなり、レアルの先制点が決まった。ルーカス・バスケスのクロスのクリアをモドリッチがミドルシュート。曽ヶ端が一度は弾いたものの、ベンゼマが押し込んで呆気なく一点。
 
「うわ、いきなり」
「ミツオはさあ、どっち応援してんの?」
「レアルには当然勝って欲しいけど、アントラーズには負けないで欲しい」
「あーなんかわかるよ」
 
 中学時代、一度だけ、サッカーが好きな五、六人の友達グループでカシマスタジアムにJリーグの試合を観に行ったことがある。その中にミツオもいた。熱心なサポーターに混じって、あたしたちは一緒にアントラーズを応援した。声が枯れるくらい盛り上がって、そして鹿島が勝った。みんなでハイタッチして喜んだ。スタジアムでサッカー観るのって、こんなに楽しいんだ。帰りの電車で、ミツオはそう言った。あのときの幸せそうな顔を、あたしは今もまだはっきり覚えている。
 
 *
 
 激しい前線からのプレスに、小笠原の惜しいミドルシュート。前半の鹿島はヨーロッパのチャンピオンに善戦していた。白い巨人たちが本気を出していないのはわかっていたけど、それでも膠着した〇対一のスコアは日本人として、元茨城県民として誇らしい。そう思っていたら、前半終了間際に鹿島が同点に追いついた。ゴール前、左からの短いクロスに対して大きめのトラップでヴァランを交わした柴崎岳が、ボールをゴール右隅に蹴り込んだのだ。
 
 さらに後半がはじまると、またしても柴崎がやってくれた。ペナルティエリアの外から個人技でボールを運んで、ミドルシュート。これがケイラー・ナバスの指先をかすめてゴール左隅に決まった。
 
「おお柴崎!」
「うわー、リードしちゃったよ。これ、鹿島が勝っちゃったらどうしよう」
「アントラーズが世界王者ってこと?」
「そういうことになるよ」
「ある意味、歴史的瞬間」
「元茨城県民なら絶対観に行った方がよかったのにねー」
 
 笑いながらあたしが言うと、ミツオはまた黙り込んだ。めいちゃんのことを思い出して落ち込んでいるのだ。
 
 ふん。その空席になった一枚を、あたしに恵んでくれればよかったのに。私はそう思って、複雑な気持ちになった。胸の奥のあたりがきゅんと痛む。
 
 ミツオは、本当にめいちゃんにふられた腹いせでチケットを売ったのだろうか。観に行きたかっただろうに。あたしを誘えば喜んでついていくことも知っていたはずだ。—それとも、もしかしたらあたしのために、わざと声をかけなかったのだろうか。もしそうだとしたら、なんて惨めなんだろう。あたし。
 
 *
 
 歴史的な瞬間、というのが訪れる期待は、数分後、あっけなく散った。ペナルティエリア内でファウルを取られた鹿島は、クリスティアーノ・ロナウドにあっさり同点のPKを決められてしまったのだ。
 
 延長に入るとさすがに自力の差が出た。延長前半、ロナウドがベンゼマのスルーパスに抜け出してこの日二点目の決勝ゴールを決めると、さらにクロースのパスからハットトリックとなる追加点。
 
 結局、四対二でレアル・マドリードが順当に世界王者に輝いた。それでも、延長戦にまで持ち込んだ鹿島は本当に健闘したと思う。
 
 *
 
 近所のコンビニまで並んで歩きながら、ミツオは言った。
 
「なんかさー、負けにも、いい負けってあるよな」
「さっきのアントラーズのこと?」
「うん。俺、もっとボロ負けすると思ってた」
「あたしもだよ。てか、みんな思ってたよ」
「ボコボコにやられるの見て、逆にスカッとする予定だったんだけどな…」
「ミツオ、どっち応援してたの」
「いや俺、今の気持ち的には敗者に感情移入する立場だからさ」
「ああ、そっちの話か。でも、恋愛は勝ち負けじゃないぞ」
「勝ち負けだよ。ボロ負けなんだよ」
 
 ミツオは、自分の敗北と鹿島の敗北のイメージがまるで重ならないことに、もどかしさを感じているみたいだった。
 
 近所のコンビニで弁当を選び、レジに持っていくと、
 
「ここは俺が」
 
 ミツオはあたしを手で制し、珍しくあたしの弁当の分も払ってくれた。
 
「どうしたん」
「決勝のチケット、売ったから」
「じゃ、遠慮なく」
 
 弁当を温めてもらっているあいだ、ミツオはレジの横のチラシのラックの前にじっと立っていた。自動車教習所とか、お歳暮とか、求人情報とかそういうのが並んでいるラックだ。
 
「何見てんの?」
 
 ミツオがつまみ上げたのは、クリスマスケーキのチラシだった。
 
「これ、一緒に食う?」
 
 え。一瞬、時空がねじ曲がる。
 
「はあ? 何言ってんの」
 
 とりあえず大げさに反応して、慌ててあたしは言葉をつないだ。
 
「だいたい、もう予約期間終わってんじゃん、それ」
「あ、そっか」
 
 あたしは店員から温められた弁当をひったくるように受け取ると、ミツオのレンチンが終わるのを待たずに先に店を出た。外は寒い。でも頭の中は寒いどころではなかった。
 
 どういう意味だろう、どういうつもりだろう。彼女にふられたから、かわりにあたしと一緒にクリスマスを過ごすって、ほんと、どういうつもりだろう。なんなん、ミツオ。むかつく。
 
「うー、さびさび、早く行こ」
 
 コンビニから出てきたミツオは、あたしの気持ちなんかお構いなしに、震える肩であたしを小突いた。
 ちくしょー、なめんなよー、と言いたいのに、あたしは言えない。
 
「てかさミツオ、ケーキ」
「ん?」
「買うならコンビニよりちゃんとした美味しいお店がいいよ」
 
 これがあたしの精一杯。ミツオは歩きながら振り向いて、言う。
 
「俺、知らないしそういう店。買っといてよ。俺、酒買ってくからさ」
「ビールじゃなくてワインとかシャンパンがいい」
「わーったわーった」
「チキンも。モスでいいから」
「わーったわーった」
 
 ああ、クリスマスに会うってことは、何かプレゼントを用意しなきゃだな。そう思うそばから、レアルのレプリカユニフォームっていくらだろう、と考え、それを受けとって喜ぶミツオの姿を想像している自分が可哀想すぎて笑える。
 
 ミツオが彼女のことを忘れるまで、あたしはミツオのそばにいる。あたしはそれしか戦い方を知らない。
 
 ねえ、スポーツにまるで興味ない女よりさ、サッカーの話も野球の話もできる女の方がよくない? 一緒にいて楽しくない? だめ?
 
 あたしは声にできないその訴えを、白い息とともに師走の夜空に吐き出した。

FOOTBALL SHORT NOVELS COLLECTION :
FOOTBALL AND LOVE SONG
Written by Masashi Fujita

memo

ユナイテッドから3点取ったガンバの試合しかり、レアルから2点取ったアントラーズの試合しかり、日本で開催されたクラブワールドカップの「シーズン真っ只中でできるだけ疲労を残さずサクッと優勝したい欧州王者 vs 勝てるとは思ってないけどできればひと泡ふかせてやりたいJリーグチーム」の構図が好きでした。どこで欧州王者のスイッチが〈省エネモード〉から〈ちょっと本気モード〉に切り替わるか、そしてちょっと本気モードになったときにどれだけ耐えられるか、試合全体のなかにわかりやすい流れの変化があって、普段観るリーグ戦やカップ戦とは違う面白さが詰まっていたように思います。