#06

ジャパンブルーの記憶
Memories of Japan blue

読了時間:約15〜20分

 付き合いはじめてまもない恋人のケイタくんから、「ダイヒョウセン行かない?」というメールが届いていた。
 
 直前の不在着信とその後すぐに送られてきたその誘いのメールに気づいたとき、私は会社の同僚の子と一緒にベトナム料理屋でお酒を飲みながら、ちょうど彼とのなれそめを語っていたところだった。まともな恋愛  人前で話題にできる恋愛  などもう長いことしていなかったから、私はずいぶん機嫌がよく、饒舌だった。
 
「ねえねえ私、今、ダイヒョウセンに誘われたんだけど」
「なにそれ」
「知らない。なんだろう。泊まりかな」
「中国の世界遺産っぽい響きだよね」
「どうしよう、パスポート持ってないよ私」
 
 好きな人と一緒ならどこにだってついて行く、という恋の高揚感そのままに、食べかけのピータンをビールで流し込んで折り返しの電話をかけ、
 
「ダイヒョウセン誘ってくれてありがとう。いつ行く? ちなみにそれってどの辺?」
 
 と返事をしたら、それはサッカー日本代表の試合、つまり代表戦のことだった。
 
 サッカーなんて見たくない。まして日本代表の試合なんて。
 
 ひと晩考えて、「あのね、せっかく誘ってくれた代表戦のことだけど…」と私は断りの電話をかけた。ところがケイタくんは弾んだ声で「あれから速攻でメインスタンドのカテゴリー1、買ったからね」と私の声を遮り、「あ、大丈夫。これは俺が誘ったんだから、チケット代の心配はしないで」と朗らかに笑った。
 
 三十代も半ばを過ぎ、いよいよ生涯独身確定か、たどり着く果ては孤独死か、という恐怖と戦い続けてようやくできた恋人。まだ互いのことをよく知らず、これから時間をかけて相手を好きになっていこうというこの段階で、その口ぶりから察するにどうやら無類のサッカー好きらしい彼に向かって、「ごめん、私、サッカー嫌いなんだよね」と口を滑らせるのはあまりに軽率である。私は、これを最後の恋にするつもりでいる。
 
 というわけでしかたなく、私は代表戦に行くことにした。
 
「サッカー観戦なんてはじめて」次のデートのときにそう言うと、
 
「代表戦は盛り上がるし、楽しいよ。知ってる選手も出てくると思うし。記念すべき最初の試合を一緒に見られるなんて、俺、幸せだなあ」
 
 ケイタくんは聞いている方が恥ずかしくなるような台詞を臆面もなく口にした。彼は、私がサッカー全般および日本代表を忌み嫌っていることも、その理由も知らない。知ったら、どう思うだろう。
 
 ◇
 
 それは二〇〇二年、日韓共催のワールドカップで日本中が沸いていたときのことだ。
 
 私は大学四年生で、ゼミの教壇に立つひとまわりも年上の講師の男と恋愛関係にあった。
 
 不倫だった。でもまだ子どもだった私にとって、人の道から外れたこと、を意味するその言葉は、まるで大き過ぎる服を着せられているみたいでしっくりこず、いけないことをしているという自覚も、のちのち発生するであろう面倒も、恋する気持ちの前ではちっとも考えに及ばなかった。私は、ただただ、福西先生というその人に夢中だった。
 
 当時の私が住んでいた部屋は、東急東横線の急行が停まる駅から徒歩十分、大学までは乗り換えなしで電車で二十分と、学校までの便はいいが知り合いに会うことはまずない、人目を忍ぶにはほどよい場所にあった。先生はその部屋に週二回、午後の講義が終わった夕方、きまって同じ時間にやってきた。
 
「なんか、授業が終わると自然と足が向いちゃうんだよな」
 
 部屋のベッドで身体を重ね、一緒にご飯を食べ、テレビを見たりちょっとお酒を飲んだりして、それから先生はまた、きまって同じ時間に、奥さんと子どもの待つ家に帰っていく。そんな付き合いが二年も続いていた。
 
「なんかサッカーすごいね、最近。ワールドカップで」
「来月からはじまるんだっけ」
「先生と同じ名字の選手がいるらしいよ。知ってる?」
「補欠の人だろ? 俺より顔がいいからむかつくね」
「でもダサい選手と同じ名前とかよりはいいんじゃない?」
「まあ、関係ないけどね」
 
 先生はたいしてサッカーに興味がないようで、私たちがワールドカップについて話したことといえばそのくらい。あとは、イングランド代表のデイビット・ベッカムの髪型を真似た男の子が学内で急増中ということくらいだった。
 
「驚いたのはさ、学生だけじゃないんだよ。研究室入ってびっくりした。社会思想史の張本先生、いきなりモヒカンになってんだもん」
「私も見た!」
「ただでさえ顔怖いのにさ。あれ、学生ビビらせるためにやってんのかな」
「ベッカムっていうよりフーリガンだよね、あの人の場合」
「はは、ほんとだよ」
 
 外から見れば、それはだらだらと続く、講師と学生のふしだらなだけの付き合いだったかもしれない。でも私たちの関係を知る人間はどこにもいなかった。
 
 大学にいるとき、私はゼミの時間以外、絶対に先生と会話を交わさなかったし、研究室に近づくこともしなかった。不倫をしているという自覚は乏しかったものの、私のなかで、ばれてはいけない、という意識だけは強かった。その緊張感が、逆に私の気持ちをずっと焚きつけ続けた。それに先生はいつもやさしかった。私にとって、はじめての男の人でもあった。
 
 先生が大学の構内で交通事故に遭ったのは、ワールドカップが開幕する直前だった。
 
 校舎の裏側にある通用門のそばで、食堂に出入りする業者のライトバンにはねられた。私はそのことを、事故の翌々日、掲示板に貼られた「臨時休講のお知らせ」で知った。
 
 事故を目撃した学生の話によると、急ブレーキが間に合わず跳ね飛ばされた先生は、地面のコンクリートに頭を強く打ちつけて意識を失い、救急車で都内の大きな病院に搬送されたという。
 
 容態については誰も知らなかった。ただその週の休講だけが決まっていた。
 
 それから数日間、私は先生のことが心配で心配でたまらなくて、ご飯もろくに喉を通らなかった。一刻も早く先生の顔を見て安心したかった。いつものようににっこりと微笑んで、「大げさなんだよ、ただちょっと頭を打っただけなのにさ」と言ってほしかった。
 
 私は授業そっちのけで先生の研究室や事務局や医務室や、とにかくいろんなところに顔を出しては情報をかき集め、先生が入院している病院の病棟まで調べ上げた。
 
 でもさすがにお見舞いには行けなかった。そこにはきっと先生の奥さんと子どもがいて、ほかにもご両親や親族の人たちがいたりするのだろうから。私は先生の家族の前で、ただの教え子のひとりでいられる自信がなかった。
 
 先生の意識は回復していて、検査が全部済んだらまたすぐ授業に復帰するらしい。そう教えてくれたのは、大学の事務局の顔なじみのおばちゃんだった。あまりに私が何度も顔を出すものだから気の毒に思ったのか、あるとき、登校した私を待ち構えて、その日の朝に聞いたばかりだという情報を流してくれた。私は全身から力が抜けるように安堵して、思わず目尻から涙をこぼしていた。
 
「だけどあんた、そういうの、やめときな」
 
 私の尋常ならざる様子から先生との関係を察したのだろう。おばちゃんは私に釘を刺すのを忘れなかった。
 
「絶対、いいことなんかないんだからね」
「はい」
 
 でも意識が回復しているとわかると、私は先生に会いたくてたまらなくなった。メールを送ろうと何度も文面を携帯電話に打ち込んでは、消去した。先生が携帯電話を操作できるほど回復しているのか、そもそもそれを最初に誰に読まれるのか、わからないので送るに送れなかった。意識があって指も動くなら、メールの一本でも送って安心させてよ、と自分勝手なことを考えて腹を立て、でもそれがないということは、と考えてぞっとしたりした。
 
 どうやら思ったより事態は深刻らしい。そんな噂がゼミの学生たちの間に流れはじめたのは、事故から十日が過ぎた頃だった。
 
 私は事務局に駆け込み、例のおばちゃんにそのことを訊ねてみたが、そんなのわからない、と今度は素っ気なく追い返されてしまった。
 
 私はどうしても先生に会いたくて、先生が無事だと確かめたくて、ついにひとりで病院に行く決意をした。
 
 用心には用心を重ね、目立たない地味な服を着てキャップをかぶり、普段はかけない眼鏡までかけて別人を装った。花を買ったのは先生に手渡すためではなく、病院で怪しまれないためのカモフラージュと、もし大学の関係者に出くわしたとき、さっと顔を隠すためだ。誰か知り合いに声をかけられた場合を想定して、福西ゼミの代表としてお見舞いに来ました、という台詞も用意した。
 
 そこは想像していたよりも大きな総合病院だった。考えた末、私は夜の面会時間が終わる頃合いを見計らって正面玄関から入り、一階にある広い待合ロビーの隅でひとまず様子をうかがった。
 
 夜だというのにロビーはまだずいぶんと人が残っていた。入院着姿の患者、病人の付き添いや家族らしき人、会計待ちの人、出入りの業者らしきビジネススーツの人、ぐずっている赤ん坊とそれをあやす母親。通路は看護師や医師が忙しなく歩き回っていて、かなり雑然とした、紛れ込みやすい空間だったので安心した。
 
 ロビーの正面には大きなテレビモニターが設置され、そこではサッカー中継が放送されていた。ロビーにいる人たちはみんなそれに見入っていた。
 
「先生、ワールドカップやってるよ。先生も病室で見ていたりする?」
 
 私は胸の内で先生に話しかけた。それは日本代表の試合だった。ときどき、ベンチに座ってる先生と同じ名前の選手の顔が画面の端に映った。
 
「でも先生はサッカーなんてべつに興味ないよね」
 
 注意深く見渡すと、そのフロアに先生の家族らしき人はいない様子だった。
 
 そろそろ、行ってみよう。私は静かに立ち上がり、お見舞いの花を抱えてエレベーターに向かった。そして病棟の位置を確認するために案内表示を見上げたとき、エレベーターホールの壁沿いに設置された公衆電話のそばに、見たことのある顔をみつけた。白いシャツに黒いスラックスのその男は、研究室に助手として出入りしている卒業生の青年だった。直接話したことはないが、よく先生や教授たちの手伝いをしている人だ。
 
 彼は受話器を耳にあて、片手を口にそえて、深刻そうな顔で何かを話していた。無意識のうち、私は別の公衆電話を使うふりをして彼の背後に歩み寄っていた。そして気づかれないよう注意しながら会話が聞き取れる距離まで近づいたときだった。
 
「奥さまは先ほど  」
「ご遺体は一度ご自宅に  」
「ええ、ですから通夜については  」
 
 耳に入ってきた言葉は、とても信じることのできないものばかりだった。
 
 違う。この人は大学の関係者なんかじゃない。まったくの赤の他人だ。先生の話をしているんじゃない。知らない誰かの話だ。
 
 そのときだった。おおっ、と野太い声のかたまりが待合ロビーに響いた。
 
「ニッポン先制! ニッポン先制! 後半の五分!」
 
 スピーカーから流れてくるアナウンサーの絶叫。
 
 振り向くと、テレビのモニターでは日本代表の選手たちが抱き合っていた。観客席では日の丸の旗が揺れていた。すれ違った年増の看護師が、え、点決まったの? 勝ったの? ニッポン? 誰? 稲本? と声をかけてきた。
 
 私は盗んだ財布を隠すように背を丸め、何も答えずにその場から逃げ去った。
 
 違う。聞き間違いだ。あの人は大学の関係者なんかじゃない。まったくの赤の他人だ。先生の話をしているんじゃない。別の知らない誰かの話だ。嘘だ。全部嘘だ。病院から出た私は、ずっと同じことを頭のなかで繰り返しながら早足で歩いた。
 
 ただたんに道に迷ったのか、真偽を確かめるためにもう一度病院に戻ろうと考えたのか、それとも部屋に帰りたくなかったのか、そのときのことはあまりよくおぼえていない。とにかく私はひたすら東京の街を歩いた。いくら遠くに行っても現実からは逃げ切れないと知りながら、それでも歩き続けた。日本代表の青いユニフォームを着た人たちと何度もすれ違った。
 
 ◇
 
 歩き疲れてたどり着いたのは、渋谷だった。見知った景色が、人混みが、少しばかり私の気持ちを落ち着かせてくれた。
 
 気づけば花束はもう手に持っていなかった。かかとが靴擦れを起こしてじんじん痛んでいた。早く自分の部屋のベッドに倒れ込んで眠ってしまいたかった。朝になれば悪夢を振り払えるような気がした。そうしたらまた先生のいる世界に戻っているような気がした。そのためにも、ひとまず電車に乗って自分の部屋に帰ろう。
 
 駅前のスクランブル交差点までたどり着いたとき、私は目の前の光景の異様さに驚いて足を止めた。そこはまるでお祭のような騒ぎになっていた。
 
 ニッポン!ニッポン!
 
 同じ年頃の若者たちが群衆となり、交差点のこちら側と向こう側で、踊り、手を叩き、酒を飲み、叫び声を上げている。ビールかけや胴上げをしている人たちもいた。
 
 ニッポン!ニッポン!
 
 信号が青になると、彼らはハイタッチをしながら交差点を渡り、またきびすを返してそれを繰り返す。よほど嬉しいのか、気が狂ったように歌い、抱擁し、喜びを表現し続けている。金髪の男たち。半裸の男たち。それにまとわりつく若い女たち。青くて黒い熱の塊が、夜の渋谷を占拠していた。何が起こっているのか、よくわからなかった。
 
 私は騒動に巻き込まれないよう、交差点の外側を歩こうと足を踏み出した。と、そのとき何かを踏みつけて足首をひねり、バランスを崩して私は地面に手をついた。膝に鋭い痛みが走った。見るとウォッカの空瓶が足元に転がっていた。ようやく私は、日本代表は今夜ロシアと試合をしていたのだ、そしてどうやら勝ったのだ、ということに気づいた。
 
 あの、病院で見たゴールのおかげでこの人たちは浮かれ騒いでいる。つまりそれは、病院での出来事が真実だということの証明に違いなかった。
 
 背後から、大丈夫ですか? と声をかけられた。私はそれを無視して立ち上がると、目の前の空瓶を思い切り蹴飛ばした。ガラガラとざらついた音を立ててアスファルトの上を転がったガラスの瓶は、信号待ちをしているタクシーのタイヤに弾かれ、人混みのなかに消えていった。
 
 それを見つめながら私は本気で思った。先生ではなく、この群衆のなかの誰かがかわりに死んでしまえばよかったのに。サッカーごときでこんなに騒ぎ立てて、ただのばかどもだ。日本代表なんて負けてしまえばよかったのに。こんな国、滅んでしまえばいいのに。
 
 そのやり場のない憤りと悔しさは、人の波にもみくちゃにされながら改札を目指して歩くうち、腹の奥でどんどん巨大化していった。満員電車に乗り込んでも、部屋に帰ってさんざん泣いても、朝になって眠りから覚めても、それは大きくなっていくばかりだった。
 
 かなしみではなく、怒りだった。そしてその怒りの矛先は、時間が経つにつれ、私と先生の関係の不確かさに向けられた。
 
 誰も認めてくれない恋だった。証拠を残してはいけない恋だった。そもそも先生が私のことを本当に愛してくれていたのかさえ、私にはわからなかった。誰も知らないことは、存在しないのと同じ。そのことを私は、先生の死という、最悪にして最高の証拠隠滅の仕方でつきつけられたのだ。
 
 あの夜から、私はサッカーと日本代表とそのサポーターと浮かれ騒ぐ若者たちと、それらすべてのものをまとめて嫌悪するようになった。
 
 ◇
 
 私はその年の秋、卒業まで半年を残して大学を自主退学した。
 
 就職活動もあきらめた。大学の友人との交流を一切断ち、先生の匂いの残るアパートの部屋も引き払って実家に帰った。しばらくコンビニのアルバイトで食いつないだ。花屋、レンタルDVD店、キャバクラ、牛丼屋、カフェ店員、テレオペと、バイト先を転々として、三十の手前になってようやく、町の小さな不動産屋に就職した。
 
 先生が亡くなってから、ずいぶんと時間が流れた。その間、何人かの男と付き合った。でも結局はみんな、私にとっては先生のかわりだった。この人は先生じゃない、ということに気づくたび、私は自分から離れていった。男たちはみんな妻帯者だった。だから彼らにとって、それは都合のいいことだった。
 
 ◇
 
 小机駅での待ち合わせに五分遅れでやってきたケイタくんは、白のロンTの上に青いユニフォームを重ね着している。暑いだろうに、首には季節外れの紺色のニットマフラーを巻いている。SAMURAI BLUEのスペルがそこに読み取れる。本当にサッカーが好きで、日本代表を応援しているのだろう。
 
 ケイタくんは私がはじめて付き合う、独身の男だ。同業他社の営業さんで、物件の契約トラブルをきっかけに知り合った。相手の会社で何度かやりとりをして問題が解決したあとの帰り際、ちょっといいですか、と駐車場で呼び止められ、ぎこちなく食事に誘われた。そして最初のデートで告白された。そのとき目の前にいた彼は、指輪をしていなかった。跡もなかった。
 
「ほんとに独身なら、いいよ。こんな私でよければ」
 
 ずいぶんといかれた私の返事を、彼は不思議そうに笑って、でも喜んでくれた。
 
 じっとユニフォームを見つめる私の視線が気になったのか、ケイタくんは着ているシャツの裾をつまんではにかんだ。
 
「いきなりこんなの着てると、ガチ過ぎて恥ずかしい?」
「ううん、そうじゃなくて」
「脱いだ方がいいかな」
「別にいいよ。そういう人ばっかりだから目立たないし」
「ちなみにこのリュックのなかにもう一枚あるけど、着る?」
「いや、初心者なんで遠慮しときます」
「だよね」
「でもなんか、ケイタくんのユニフォーム、他の人と色が微妙に違うね」
「ああ、これはね、二〇〇二年のときに買ったやつだから。ほら」
 
 そう言って彼はぐるっと上半身をひねり、背中を向けた。
 
 そこには背番号と選手の名前がマーキングされている。嫌な予感がした。
 
   背番号5、INAMOTO。
 
 不意にあの夜の感覚がよみがえり、身体がぶるっと震えた。
 
「あ、寒い?」
「…」
「よかったらマフラー、使う?」
「ううん、いらない。ていうか、それ、ロシアとの試合でゴールした人でしょ?」
「お、知ってるじゃん」
「…」
「俺、あの試合、生で見てたんだよ。あれ以来、代表戦のときはこれ着てくんだ」
「思い出、なんだね」
「そうだね、サポーター人生で最高の思い出だね」
 
 ケイタくんはあの日あの時間、ニッポン!ニッポン! と浮かれ騒いでいた群衆のひとりだった。先生のかわりに死んで欲しかった人たちのひとりだった。
 
 でも、あれからもう十何年も過ぎている。あのときまだ二十一歳で世間知らずだった私は、今ではアラフォーと呼ばれてもおかしくない年齢にさしかかっている。さすがにもう苦しくなんかない。怒りもない。少し、かなしいだけだ。
 
「とりあえず行こっか」
 
 私は、そう言って歩き出したケイタくんの腕をとり、その身体にぴたりと寄り添った。ケイタくんは嬉しそうな顔で私のペースに合わせてゆっくり歩いてくれる。
 
 いつか私たちが結婚したら、私はあのロシア戦の思い出を、きっと何度も彼の口から聞かされるのだろう。そのなかには先生と同じ名前の選手も出てくるかもしれない。
 
 そのときも、私はこうやって、少しかなしいだけでいられるだろうか。
 
「今日、勝てるかな?」
 
 私は日本代表を応援する群衆のひとりになって訊ねてみる。サッカーのことはなにも知らないけど、そう口にしてみたら不思議なことに、これからサッカーを好きになれるような気がした。
 
「勝つよ」ケイタくんは力強く言い切った。
 
「まあ、でも親善試合だから。勝っても負けてもどっちでもいいっていうか、大事なのは内容なんだけどね」
「内容って何?」
「うーんつまり、どんなゲームをできるかっていうか、結果よりその過程が大事っていうか、本番に向けて…まあ、そういうのは試合見ながら話そうよ」
「うん、教えて」
 
 私たちはスタジアムに向かって、後ろを振り返ることなくずんずん歩いていく。
 
 私がこれからこの人をうんと好きになって、ついでにサッカーのことも好きになったら、先生はどう思うだろう。嫉妬するだろうか。それとも安心するだろうか。もう関係ないよと笑うだろうか。
 
 私はそんなことを考えながら前に進む。そんなことを考えるのは、もうこれで終わりにしようと決めながら。

FOOTBALL SHORT NOVELS COLLECTION :
FOOTBALL AND LOVE SONG
Written by Masashi Fujita

memo

2002年のチュニジア戦の後、「日本代表初のワールドカップ決勝トーナメント進出記念」に何か買い物をしよう、そうだ、フライパンを新しくしよう、と思い立って新宿に買い物に出かけたら、歌舞伎町のあたりがすごいことになっていてビビりました。まさに狂騒。フライパン片手にさっさと駅に逃げ込んだ記憶があります。昔、仲のよかった女の子が「サッカーは全然興味ないけど、日韓ワールドカップのときの稲本のゴールはよかった。稲本、かわいかった」と言っていたのを思い出して、当時の空気を思い出しながら書いた物語です。渋谷のスクランブル交差点のあの狂騒の中、「なんなんこいつらまじでむかつく…」そんな気分で横断歩道を渡る女の子の顔を思い浮かべて。