#26
読了時間:約10〜15分
そのお客さんの自宅は、東武東上線沿線の路地の入り組んだ住宅街の奥にあった。
かろうじて車一台が通れそうな道幅を確保してハザードを点滅させたまま、僕は本の詰まった重たいダンボールを七箱、タウンエースの荷室に急いで積み込む。
金子達仁、西部謙司、木村元彦、宇都宮徹壱、後藤健生、レナート・バルディ ― 口の開いたダンボールから覗く本の背表紙が、老人の趣味を明らかにしていた。半分ほどがサッカー関係の書物で、もう半分はおそらく亡くなった奥さんのものだろう料理や美容の実用書。
「それから君、これも持っていってもらえるとありがたいんだけど」
支払いが済んだ後で老人が出してきた昔の三越の紙袋には、どちらのものかわからない洋書のペーパーバッグが詰められていた。
店のきまりで、外国の本は取り扱わないことになっている。但し、大量であれば断るが、処分を前提に無料で引き取る場合もある。
背後からクラクションが鳴らされたので、ひとまず紙袋を受け取り、ダンボールの脇に立てかける。
「お値段、つきませんけどいいですか?」
「構わない。ありがとう、助かったよ」
老人は玄関先に立ったまま目尻の皺を深くした。これから、長年暮らした自宅を引き払い、息子夫婦の家に厄介になる ― そしておそらく数年以内にどこかの施設に入ることになるだろう ― 人生に区切りをつけた、あるいは、何かをあきらめた、そんな力のない乾いた微笑だった。
(サッカー、お好きなんですね。僕も金子達仁さんの本は学生のとき、全部読みました。)
最後に声をかけようかと思ったが、査定中に聞かされた老人の身の上話とは話の重さに差がありすぎて、結局僕はその台詞を喉の奥に呑み込んだ。
古本屋でのアルバイトをはじめて、もうすぐ半年になる。
それまで勤めていた食品の仲卸の会社が新型コロナの影響をもろに受けてつぶれてしまい、次の職にありつくまでのその場しのぎのつもりで見つけたのがこのバイトだった。
アルバイトは僕以外、みんな二十代の若い子ばかりで、三十代の、それも運転免許を持って会社での営業経験のある男となると僕ひとり。そういうわけで、それまで店長がやっていたこの出張買取の仕事が僕の担当になった。
古本屋を選んだことにたいした理由はない。昔、学生時代の恋人が古本屋でアルバイトをしていたのを思い出したからだ。店でお客さん相手にレジを打って、本をきれいに並べるだけ ― 何度か店で見かけた彼女の様子を思い出し、あれなら楽そうだ、と思ったのだ。
とりあえず楽に生活費が稼げれば何でもいい。仕事を失ったばかりの僕に、まともな労働意欲などなかった。もっといえば、生きる気力もなかった。四十歳を目前にしていまだ独身。愛する者も、一緒に暮らす者もなく、これといった将来の夢もなし。ただの時間稼ぎのつもりだった。
働き始めてみると、古本屋の仕事は想像していたよりもハードだった。
それはそうだ。一冊や二冊ならひょいと持ち上げられる本であっても、十数冊となれば腰を痛めるのに十分な重さである。学生時代の彼女が通っていたのは、駅前の商店街にある小さな店の、客あしらいの苦手な老店主の手伝いみたいな仕事だったが、僕が履歴書を持ち込んだのは、けっこう大きな売場を持つ都内チェーンの店だった。
車の運転も神経を使う。ペーパードライバーがいきなり都内を走り回ることになったのだからたまったものではない。親切に駐車場が用意されているなんてこともない。今回のようにクラクションを鳴らされたり、後ろのドライバーから怒鳴られることも少なくない。
老人の自宅から川越街道に出て、店に戻る帰り道、どこか懐かしい景色だと思ったら、そこは、学生のとき付き合った彼女が住んでいた町の近くだった。彼女の部屋に通うためによく自転車をこいだ、見慣れた道だった。
彼女はいちこという名の、背の低い子だった。僕が通っていた大学よりもずいぶんと偏差値の高い私立大学に通っていて、本と、テレビのお笑い番組と、音楽が好きな人だった。
彼女は言った。古本の面白いところは、本が旅をすることなのだと。
誰かの手から誰かの手へと本が渡っていく、そういう物語が好きなのだと。
「 ― それでね、誰かが大切にしていた詩集をあるときよんどころない事情で手放すことになるの。それが、古本屋を介して次々にいろんな人の手に渡って、そして長い年月が経って、またあるとき偶然、本人の手に帰ってくるの」
「なるほどね、ふうん」
「そういうの、ユウくんもいいと思わない?」
「まあね、ちょっとロマンあるかもね」
「そう、ロマンだよ、ロマン」
当時、さして興味もなく聞き流していたことが、今頃になって思い出される。
彼女に会いたくて必死に自転車をこいでいた道を、こうして二十年の歳月を経てバイト先のタウンエースで走っている今の僕の人生には、ロマンなんて欠片もないけれど。
◇
僕はいちこと違って読書家ではなかった。
ただ、小学生のときにサッカーをはじめて、高校を卒業するまでずっとやっていたので、サッカーに関する本だけはたまに読んだ。
きっかけは中学のときの読書感想文だった。金子達仁の「28年目のハーフタイム」で作文を書いて、国語の先生に褒められた。先生とサッカーの話で盛り上がった。それをきっかけに、僕はサッカー本をときどき読むようになった。好きな選手の自伝とか、戦術の解説本とか。大人になってからも、オシムの本やモウリーニョの本に目を通した。
といっても、それ以外の本は、買うとしてもマンガや雑誌、週刊誌だけだ。文学にもビジネス書にも興味がない。本を読む意外に楽しいことはたくさんある。世の中のことを詳しく知りたいとも思わない。
そんな僕が過去に一冊だけ、洋書を買ったことがある。わざわざ新宿の紀伊國屋書店まで出かけていって。
二〇〇二年は、日韓ワールドカップで盛り上がった年だった。
僕は大学二年で、友達の友達という関係だったいちこと、その前の年のクリスマスから付き合いはじめていた。彼女は僕にとって、生まれてはじめてできた大切な恋人だった。
僕の住んでいる部屋から彼女の部屋まではずいぶんと遠く、電車の乗り継ぎの便が悪くて、週末が来るたび、僕は自転車を走らせた。片道一時間の道のりだったけれど、ちっとも苦ではなかった。彼女の部屋でだらだら一緒にテレビを見たり、ご飯を食べたりするだけで、僕は幸せだった。
ワールドカップが始まるまで毎月一回、日曜日にフジテレビで放送されるサッカーの情報バラエティ番組を、僕らは楽しみに見ていた。司会は明石家さんまで、サッカー好きの芸能人が出演していた。
僕はサッカーが好きで、いちこはさんまが好きだったから、その番組はふたりで見るのにちょうどよかった。僕はその番組を毎週録画予約するほど楽しみにしていたし、いちこが少しずつサッカーの面白さを理解してくれるのも嬉しかった。
「ベッカム、かっこいい」
彼女もまた、イングランドのヒーローのルックスに吸い寄せられた女の子のひとりだった。
四年前のワールドカップでサラサラのブロンドヘアを振り乱してプレーしていた貴公子は、ソフトモヒカンのスタイルにイメージを変え、男らしい精悍さを身にまとい、ハリウッドスターにも負けない強烈なオーラを発していた。
ベッカムのプレーは僕も大好きだった。
見た目先行と揶揄する人もいたけれど、そもそも彼のキックは超一流だ。「足でボールを蹴る」というサッカーの本質を美しく体現できる、神様に選ばれたプレーヤーのひとりだった。
イングランド代表がワールドカップ出場を決めた、あのギリシャ戦の終了間際の直接フリーキックの映像を見て、彼の天賦の才を疑う人はいないだろう。特に右サイドからのアーリークロスの正確さ、スピード、軌道、それは当時世界最高の選手であったジダンのそれよりも優れていたと、僕は思う。
ベッカム、オーウェン、スコールズ ― あの大会のいちばんのお気に入りは、僕もいちこも、イングランド代表だった。
「私、ベッカム大好き。ねえねえ、ユウくんさあ、ベッカムの試合って見に行けないの? チケットまだ売ってないの?」
「もう抽選終わってるからなあ」
「そっかー、じゃあテレビで見るしかないか」
「いちこの部屋で一緒に見ようよ」
紀伊國屋書店の、それまで足を踏み入れたことのない洋書コーナーで、僕はそれを見つけた。
表紙は、頭を刈りあげたベッカムの顔。赤いセロファンに包まれたようなデザインの、真っ赤な、存在感のある本だった。
僕はそれを彼女の誕生日のプレゼントのために買った。そして裏表紙の内側の隅の目立たない場所に、《Happy Birthday Ichiko ! I love you !》と米粒みたいな小さな字でメッセージを書いた。
ラッピングのリボンをほどいて包装紙を解いたときの、え、という彼女の顔が忘れられない。良い意味ではない。悪い意味だ。
驚愕と落胆と失望が入り交じった ― は? 何これ? 嘘でしょ? 私の二十歳の記念すべき誕生日にベッカム? え、ベッカムの本? まじで? これが本気だったらやば過ぎる。信じられない。嘘でしょ? ― あの表情を見て、僕は自分がいかに恥ずかしいことをしてしまったのか、一瞬で理解した。いくら「ベッカムが好き」と口にしていても、だからといって女の子の誕生日にベッカムグッズをプレゼントしてはいけない。彼女は僕の趣味に合わせて、わざわざ気を使って「ベッカムが好き」と言ってくれていたのだから。
僕はそんなことも知らなかったのだ。
「はは、これは冗談。びびった? 」
必死に余裕ぶって笑い、誤魔化した。
「いろいろ考えたんだけど、結局、いちこが一番喜んでくれるものをプレゼントしたいって思ってさ、選びきれなかったんだよ。だから明日、一緒に買いに行こうよ。いちこが一番嬉しいものを、何でもプレゼントするから。このベッカムはちょっとしたジョークね、はは」
「もう、脅かさないでよ」
「明日はほんと、遠慮しないで好きなもの選んでね」
「いいの?」
「もちろん」
翌日、渋谷のファッションビルのジュエリー売場をふたりで時間をかけて歩いた。
店員や他のお客さんの視線を感じるたびに、変な汗が噴き出て困ったのをよく覚えている。
彼女がアガットで三万円くらいのリングを選んでいるとき、僕は、トイレに行くふりをして慌ててATMに走った。僕が財布に用意していた一万円札は一枚だけだったのだ。
アクセサリーとベッカムの本。その「誕生日プレゼント」のあまりの認識違いに、また別の変な汗も出ていた。
女の子と付き合うということがどういうことなのか、高校までずっと部活一筋でそういうことに縁のなかった僕は、何も知らなかった。記念日を祝うということがどういうことか。彼女を幸せな気持ちにさせるということが、どういうことか。
ベッカムの本のことを、その後、彼女の口から聞いたことはない。むしろその方がありがたかった。(彼女は英文科だから、原書でも楽しめるだろう)なんて買うときに少しでも考えていたことが恥ずかしい。もう、読むどころかページをめくらなくても構わないと僕は思った。何もなかったことにしてしまいたかった。
◇
いちことは、その年の夏まではうまくいっていた。
一緒にいろんなことをした。ワールドカップの試合をテレビでたくさん見た。もちろんイングランド代表を一緒に応援した。彼女の好きなバンドのコンサートを見に行ったし、中野の小さなライブハウスで芸人のライブを見たこともあった。映画もたくさん行ったし、美術館にも動物園にも行った。お互いのバイト代を出し合って、信州の温泉にも行った。
まさに大学生のカップルらしい、自由さと気楽さで、互いの授業とバイトの合間の時間をふたりで埋め合った。
イングランド代表が準々決勝でブラジルに敗れた日の夜だった。
残念会と勝手に称して飲み慣れないワインをしこたま飲んで、酔っぱらって、それまで強がりと虚栄心が邪魔して言えなかったことを、僕はいちこに告白していた。
「いちこは、僕にとってはじめての彼女なんだ。高校のとき彼女がいたっていうのは嘘で、女の子と手をつないだのもキスしたのも、みんないちこが初めてだった」
付き合いはじめて半年経ってようやく、僕は女の子と付き合うということに慣れて、いちこに心を開けるようになったのだ。
「うん、たぶんそうだろうなって思ってた」
「え、ばれてた?」
「だって、最初、すごくぎこちなかったから」
そして彼女はやさしく頬笑んで、僕の頬を手のひらで優しくさすって、言った。
「私も、ユウくんが初めての彼氏だったらよかった」
その言葉は、僕の胸を満たした。
「ユウくんの初めてになれて、私は嬉しいよ。これから、ふたりで初めてのこと、もっといっぱいしようよ」
男と女は、こんなふうに心をつなげていくのか、と僕は知った。目の前の相手を抱きしめずにいられない、そういうものなのだと。
彼女の住むアパートの近くには、少し大きな公園があった。遊具と広い土のグラウンドを鬱蒼とした木々が囲んでいて、その木立の合間がちょっとした遊歩道になっていた。
僕らはたまにその公園にボールを持っていって、グランドの隅でサッカーのまねごとをした。僕は彼女にインサイドキックの蹴り方を教えて、親子がキャッチボールをするように、よくパス交換をした。
最初は足首がふらふらで、蹴る度にボールが違う方向に転がっていったけれど、だんだん慣れてくると、彼女は上手に僕の足元にボールを返せるようになった。
「上手くなったね」
「だよね、私もそう思う」
「今度、一緒にフットサルでもやってみる?」
「あ、フットサル、私ちょっと面白そうって思ってた。あれって女の子もやってるよね」
「うん、ミックスでやれるし、初心者も全然普通に楽しんでるよ」
「私の大学の子がね、サークルでチーム作りたいんだって。ユウくんも一緒にやらない?」
「いいよ。最近、身体鈍ってるからちょうどいいよ」
「じゃあ、友達の子から連絡あったらユウくんにも教えるね。ユニフォームも作りたいとか言ってた」
でも、その機会は結局、訪れなかった。
秋になっていちこがフットサルのチームに誘われたとき、彼女は他に好きな人ができていたのだ。
僕らは二度目のクリスマスが来る前に別れた。恋人とお別れをするのも、僕にとっては生まれてはじめての経験だったから、そんなこと、上手になんてできるわけがなかった。ずっとずっと、僕は彼女のことを引きずった。
次の年の夏、ベッカムはものすごい移籍金でマンチェスターからレアル・マドリードに移籍した。
◇
その公園は、まだ当時と変わらず、その場所にあった。
遊具が新しく塗り直されていること以外は、時間を止めたかのようにまったくそのまんまだった。いちこが蹴ったボールを探しに分け入った茂みも、ボールを濡らしてしまった水飲み場も、まるで昨日、そこでボールを蹴り返したかのようにそのまんまで、少し頭がくらくらした。
変わっているのは、公園の入り口に古本屋のロゴがプリントされたタウンエースがハザードを出して停車していることくらいだ。
今でも彼女のことが好きなのかといえば、もうよくわからない。好きといえば好きだし、もう何も思わないといえば何も思わない。でも、彼女の存在が消えることはない。
今、僕の手には、赤い洋書が一冊ある。
ついさっき、店からかかってきた電話に出るために、通りかかったコンビニの駐車場に車をとめたら、その拍子に荷室の紙袋が倒れ、何冊かのペーパーバッグが散らばった。その中に、ベッカムのあの顔があったのだ。
こんな偶然もあるんだな。
電話の用件が済んでから、僕は店に戻る道ではなく、ふと思い立ってかつて彼女のアパートのあった場所へと車を走らせてみた。
アパートはすでに取り壊され、コインパーキングになっていたものの、この公園だけはまだそのまま残っていた。
David Beckham ― My World
日本語で翻訳されて国内で出版されたものは、店の棚でも何度か見かけたことがある。
でもこれは、英語のみの、正真正銘の、あのとき僕が買ったのと同じ輸入品である。
この本を買ったのはどんな人だろう。さっきの老人だろうか。違うような気もするし、そうだという気もする。もしかして、あの老人も僕と同じように、奥さんから「ベッカムが好き」と言われてプレゼントしちゃったりしたのだろうか。そして奥さんの機嫌を損ねたかもしれない。
そんなことを想像しながら、仕事のくせで、商品の状態確認をするようにぱらぱらとページをめくってみる。洋書に染みついた、独特の匂いがする。
手が止まったのは、時間が止まったのと同じだった。そのとき、僕の思考が一瞬、すべて止まった。本の裏表紙の内側の隅に、小さなメモ書きが残されていた。
《Happy Birthday Ichiko ! I love you !》
その横には、懐かしい筆跡で、小さく書き足された言葉がある。
《Me, too! Yu-kun !》
本を持つ手が、かすかに震える。
いちこの手から、いつ、どこをどのように巡って、この本はここに戻ってきたのだろう。
粉々に砕けて消えてしまった愛のかけらが、こんなところに残されていた。確かにそこにあったはずの愛が、そのときのままに。
帰りの車を運転しながら、僕は考えた。
この本は回収しなかったことにして、僕が持ち帰ろう。そして ― いちこが今どこで何をしているのか、結婚して家庭をもっているのかそうでないのかわからないけれど ― いつかこれを、もう一度、とびきりのジョークとして彼女に手渡すことができたら。
その場面を想像して、自然と顔がにやつく。
ダッシュボードに置いた真っ赤なベッカムの顔が、目の前のウィンドウに映って、遠い未来の青空に浮かぶ。
今日、仕事が終わったらYoutubeでベッカムのプレー集でも検索しよう。
■
FOOTBALL SHORT NOVELS COLLECTION :
FOOTBALL AND LOVE SONG
Written by Masashi Fujita
© 2019. MASASHI FUJITA All Rights Reserved.