#32

Cry & Cry
The day after the match

読了時間:約10〜15分

 昨夜はメキシコとの三位決定戦を最後まで見て、さっとシャワーを浴び、九時過ぎにはベッドに横になった。
 日本は完敗だった。あっさり先制され、追加点を奪われ、突き放され、敗れた。
 悔しいといえば悔しいが、スペインとの準決勝ほどの熱量はない。こういう試合はプレーする者だけでなく、見ている方もモチベーションが難しい。ただ、試合後に久保くんが芝生の上で泣き伏す映像だけが、しばらく頭の隅に残った。
 一時間ほど寝室で読書をして、ふたつ並んだシングルベッドの、もう誰も使わない片方の処分をどうしたものかと考えながら、僕は穏やかな眠りについた。
 
 目が覚めたらいつもと変わらぬ朝だった。
 土曜日だが、スーツに袖を通す。天気予報によれば猛暑日。やはりカジュアルな半袖の方が無難かとポロシャツに手を伸ばしかけ、そういえば恵美子の実家をはじめて訪ねたときも夏の暑い日だった  普通の格好でいいよ、と恵美子が言うのを突っぱね、こういう挨拶はきちんとしたいからと言い張ってスーツを着ていったのだ  と思い出す。
 待ち合わせの場所が近所の店であれば浮き上がるかもしれないが、銀座ならば視線を集めるということはない。有楽町駅近くのカフェは恵美子が指定してきた。正確には、彼女の弁護士が連絡してきた場所だ。
 昨日のサッカーを思い出して、ネクタイは夏らしいブルーを選んだ。
 
 ◇
 
 約束の五分前に店に着くと、窓際のテーブルに恵美子の姿が見えた。
 妻の顔を見るのは一ヶ月ぶりだった。
 僕がスーツを選んだように、彼女もきちんとメイクをして、身ぎれいにしていた。
 きれいな格好をして、背筋を伸ばして、きちんと別れる。結婚してから数えきれないほど経験した修羅場に思いを巡らせば、最後にこうやって互いに落ち着いて向き合える機会をもうけられたということだけでも、まあ、よかった、と僕は素直に思った。彼女がわざわざ銀座を選んだ理由がわかった気がした。一歩ずつ近づきながら、コーヒーを傾け窓の外を眺める妻の横顔に、ずいぶん年をとったな、と他人事のような感想をもった。
「おはよう」声をかける。
「おはよう」
 ついこのあいだまで、同じ部屋で、互いに無防備なパジャマ姿で毎朝交わしていたのと同じ挨拶が、いつのまにかひどくぎこちない。
「やせた?」
「いや、変わらないよ」
「ちゃんと食べてるの?」
「まあ、半分はコンビニだけどね」
「今日も暑くなりそうだね」
「そうだなあ」
「最初に、やることやっちゃおう」
「うん」
「これ、私の方は全部記入してあるから」
 恵美子はコーヒーカップを素早く横に動かすと、膝の上の茶封筒をテーブルにのせた。
 
 ◇
 
 僕と恵美子が結婚したのは、一九九六年の夏だった。僕は二六歳で、恵美子はふたつ下の二四歳。互いの夏休みを合わせてアメリカに新婚旅行に出かけた。ちょうどアトランタオリンピックの時期と重なっていた。
 ロサンゼルスのホテルで、サッカーの試合を見た。日本がブラジルを破ったあの試合だ。中田英寿がいて、前園真聖がいて、川口能活がいた。
 思いがけない大金星をあげたその日は、ホテルのロビーや廊下で従業員に何度も声をかけられた。日本、おめでとう、すごかったね。
「おめでとうおめでとうって、なんか、アメリカの人たちから私たちの結婚を祝福してもらってるみたい」
 サッカーが好きな人たちに言わせると「オリンピックよりもワールドカップ」なのだろうけれど、そんなことがあって、僕ら夫婦にとってオリンピックのサッカーは、ワールドカップよりも特別なものになった。
 中田がPKを外したシドニーも、メダルまであと一歩のところで敗れたロンドンも、僕らはテレビで一緒に見た。ロンドンのときは息子の音弥が小学生だった。三人でお揃いのブルーのシャツを着て応援した。田村亮子より、高橋尚子より、室伏広治より、オリンピックといえばまず、我が家はサッカーだった。
 夫婦の共通の趣味は他にもいくつかあったけれど、サッカーは特別だった。
 音楽も映画もお酒も料理も園芸も、互いに好きではあれど、その好みがわかれたり、知識の量に差があったり、完璧に同じレベルで共有し合えるものではなかった。でもサッカーを見ることだけは、ライトな日本代表好き、という感じで、ふたりとも同じ距離を保てていたように思う。夫婦にはきっとそういうものが必要なのだ。どちらが上でも下でもない何かが。
 
 ◇
 
 弁護士に確かめてもらったのなら大丈夫だろう、と思いつつ、やはり恵美子のことだから、と念のために離婚届を確かめ、離婚協議書の内容にしっかり目を通した。財産分与も、マンションも、問題はなさそうだった。
「じゃあ、あとはこっちで処理するから」
「お金、いつころ振り込んでもらえそう?」
「月末までにはすっきりさせよう」
「ありがとう、助かる」
 書類を封筒に戻して、互いの最近の暮らしぶりについて話す。
「新居はどう? 新築なんだろ」
「そうだけど、賃貸はやっぱり気をつかうね。あと、狭い。もう収納がいっぱいになっちゃって。断捨離しないと」
「まだお前のもの、いっぱい残ってるからな」
「わかってる」
 マンションに残されたままの荷物や家具の運び出しは、僕がいない平日の昼にすでに手配したという。
「ついでに寝室のあのベッド、一台持っていってくれないかな」
「えー、新しいのあるから、いらないかな。処分してくれってことならするけど」
「いや、じゃあそれはこっちでするよ」
「鍵はしばらく預かっていていいの?」
「いいよ、何度か来るだろ。どうせお前のことだから運び忘れとかもあるだろうし」
 そんなつもりはないのに、つい、なじるような口調になってしまう。どうせお前のことだから  。
 妻は物忘れが激しく、片付けができない。
 その忘れっぽさ、だらしなさ、なんとかならないのか、それでこれまで何度ひとに迷惑をかけてんだよ、いい加減に反省してくれよ、いつも尻ぬぐいをさせられるのは俺なんだよ、しっかりしてくれ。
 こういうのを、僕は正しい注意だと思って繰り返し口にしてきた。でも恵美子は、モラハラだ、とずっと感じてきたのだ。
「もうあなたのその声、聞きたくない」
 そう言い残して、マンションを出て行った。
 ああ、最後もまた妻の機嫌を損ねてしまう。そう思いながら顔色を窺うと、
「そうだね、自分に呆れるよ」
 彼女は申し訳なさそうな顔でコーヒーをすすった。
「こないだもさ、大事な書類全部忘れて不動産屋さんに行ったり、スマホ忘れて出かけて、弁護士の先生と待ち合わせができなかったり。私やっぱり、反省とかできないみたい。ひとりになったら、もう誰にもフォローしてもらえないのにね……」
 一緒に暮らしているときにその素直さがあれば、こんなふうにはならなかったよ。僕は喉まで出かかった言葉をぐっと呑み込んだ。
 
 ◇
 
 診断を受けたわけではないが、恵美子にはちょっと普通と違うところがあると、彼女のまわりの人間はみな感じている。
 それがメンタルヘルスという分野の問題なのか、それとも物理的な脳の機能の問題ということなのかは、よくわからない。会話が噛み合わない。約束事ができない。空気を読むことができない。そして、人間が変わったようにときどき突発的にキレる。出会った頃は、そのうち治るだろう、と思っていた。でもそうではないらしいことに結婚してから気づいた。そしてそれは、日々の暮らしのあらゆる場面で、僕の生活に問題とストレスを引き起こした。
「私はそういう人だから。しょうがないから。これは私の問題だから気にしないで」
 彼女は言った。確かにそうなのかもしれない。でも、本人の問題ではあっても、ともに暮らしている人間がいる以上、それは本人だけの問題とは言いきれないはずだ。
 病院で受診することを何度もすすめた。でも、恵美子は頑なにそれを拒否した。
 あるときから、僕にとって、彼女との暮らしはひどく苦しいものになった。もう限界だ、別れたいと何度も思った。思い続けた。
 それでもなんとか夫婦としてやってきたのは、息子がいたからだ。僕も妻も、息子を心の底から愛している。彼を傷つけるようなことはしたくなかった。
 僕は恵美子との暮らしにずっと耐えてきた。そして同じだけ、恵美子も僕との暮らしに耐えてきたのだと思う。
 今年の春、ついに息子の音弥は高校を卒業し、大学に進学して、マンションから出てひとり暮らしをはじめた。
 僕ら夫婦は、もう耐えなくてもよくなった。だから、別れよう。そういうことだ。先に離婚を切り出したのは、妻の方だった。
 
 ◇
 
 昨日、僕はメキシコ戦を見ながら、家族三人でサッカーを見ていた頃のことを思い出した。
 音弥は小学生のとき、地域のサッカークラブに一年だけ通った。ロンドンの試合を見て、サッカーをやってみたい、と自分から言い出したのだ。
 でも彼は親に似てもともと運動が得意なタイプではなく、いくら通ってもなかなか上達しなかった。サッカーが上手なまわりの子たちにとけこむことができず、仲間はずれにされることもあったようだ。よく家に帰って癇癪を起こした。
「うまくできないなら、できるようにもっと練習しよう。仲間に、自分から話しかけてみよう」
 そう僕は考える。でも妻は違う。
「練習したってできない人間はできないんだから、できない人を責める人は悪い人だ。そういう人たちとは関わらなくていい」
 息子が泣いているそばで、いつのまにか慰めていたはずの父と母が息子そっちのけで大喧嘩をはじめるなんてこともよくあった。
 
 ◇
 
「音弥のやつ、大学はちゃんと通ってんのかな」
「授業は普通にあるみたいよ。でもリモートの授業もけっこうあるって」
「今の子は可哀想だよな」
「だけど友達はけっこういるみたい」
「へえ」
「サークル、かけもちしてるんだって。こないだ、電話したとき楽しそうに話してくれた」
「それならいいけど」
 息子の話になると、互いに屈託のない顔つきになる。まさに、子はかすがい、である。
「大学にいるうちに、留学できるといいな」
「ほんと、そう思う」
 留学をしたい、と本人が言って選んだ大学なのに、結局、このご時世だ。留学どころか自由に外国に渡航できる環境ではない。
 話し合いで、音弥の学費は折半ということになった。そのかわり、収入のいい僕の方が仕送りをして生活面の面倒を見る。そしてお互い、父として、母として、いつでも息子を助ける。
 
 ◇
 
「父さんと母さん、離婚したいと思う」
 音弥にその話をしたのは、彼が大学生になり、最初のゴールデンウィークに帰ってきたときのことだ。
「うん、そのつもりでいたよ」
 あっさりとした反応に、恵美子も僕も拍子抜けをした。
「俺がこのマンションから出て行ったら、きっとそうなるだろうなって思ってたよ。だから、別に俺の意見なんて聞かなくていいよ」
「家族を壊したいわけじゃない。それだけはわかってくれ」
「わかってるよ。ていうか、むしろ、父さんと母さんは別れた方がいいってずっと思ってた。もう、ふたりがいがみ合うところ、見たくないもん」
 音弥は笑顔だった。
「父さんとも、母さんとも、俺は会いたいときに自由に会うよ。ふたりとも、もう、俺のために無理しなくていいよ。俺、本当に感謝しているから」
 こんな親でも、息子はやさしい人間に育ってくれた。それだけで、僕は、恵美子と暮らした二十年間が認められたような、ようやくその苦しみのすべてから解放されたような気がして、こみ上げてくるものを抑えられなかった。
 そしてその気持ちを恵美子に正直に打ち明けられないことに、共有し合えないことに、心の底からひどいさびしさを感じた。
 
 ◇
 
 恵美子のカップからコーヒーがなくなり、僕も紅茶を飲み終え、会話が途切れた。
 そろそろ、店を出るタイミングだろう。
「オリンピック、見てる?」
 唐突に、恵美子が言った。
「ときどき。昨日のサッカーなら見たよ」
「私も見た」
「残念だったね」
「三点取られたら、しょうがないけどね」
「やっぱり三位決定戦ってのは、モチベーションが難しいよな」
「久保くん、泣いてたね」
「泣いてたな」
「久保くんの泣き顔見てたらさ、音弥がサッカーで泣いてたの、思い出した」
「ああ、それ思ったよ。一緒だね」
「かわいかったよね」
「かわいかった。今だって、かわいいよ」
「うん」
「あいつが三人で会いたいって言ったら、そのときは声かけるけど、いいよな」
「うん」
 少しためらいをのぞかせてから、恵美子は僕の目を見て言った。
「私たちって、嫌い合って別れるわけじゃないよね」
 その質問に、その答えに、何の意味があるだろう。何の価値もない。僕はわかっている。でも、今、正しいのは、正しさじゃない。
「うん、嫌い合ってなんかいないよ」
 僕がそう答えた途端、妻は鼻をひくつかせ、それを手で覆った。みるみる瞳が潤う。口を開く。でも言葉が出てこない。いつのまにか肉づきのよくなった肩が小刻みに震えている。
 でももう、僕は手を伸ばして、その肩を抱くことはできない。
 やさしい言葉をかけるかわりに、先に伝票をつかんで立ち上がった。
「また、連絡するよ」
 店を出るとき、ドアの近くの席の客がスポーツ新聞を開いていた。大きな活字に囲まれて、久保くんが泣いていた。
 
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FOOTBALL SHORT NOVELS COLLECTION :
FOOTBALL AND LOVE SONG
Written by Masashi Fujita

memo

なんだかんだで東京五輪、男子サッカーの試合はしっかり見ました。グループリーグで大活躍だった久保くん。ボールを持ったときの動きも鮮やかな得点も、「違い」を見せつけるのに相応しいものでした。いやー、さすが。バルサもレアルも知る男。まだ十代を終えたばかりとは思えないほどの落ち着いた言動も、サッカー選手としての大人びた姿も、とても印象的でした。で、それを見てきたからこそ、三位決定戦のメキシコ戦のあと、人目をはばかることなく泣き崩れる姿は意外で、テレビを見ているこちらがちょっと動揺しちゃうほどでした。自分の中で勝手に「天才・久保くん」のイメージを作って、固定して、それをまた勝手に当てはめていたけれど、どうもそれは違うらしい。そして当たり前のことに気づきました。人の心の内は、結局のところよくわからない。久保くんの涙のシーンから、それを見て同じことを思う、別れ際の夫婦の話を書いてみました。