#33
読了時間:約10〜15分
その店は、昼間はちょっとお洒落なカフェレストランで、夜は会員制のクラブみたいになるのだという。都心から新幹線で一時間半ほど離れた地方都市の、駅から数分歩いた裏路地のビルの一階。思ったよりもひっそりとした佇まいの、古い店だった。
私はテレビ番組の制作会社で、ディレクターの仕事をしている。仕事の打合せという口実で、今日、この街にやってきた。
相手は、都内の大学で心理学の客員教授をやっている山岡さんだ。七年ほど前に未成年犯罪の特集番組を作ったときに取材を申し込んで以来、児童心理や犯罪者心理に関するコメントが欲しいとき、何度もお世話になっている。何冊か本も出している人だ。週に一回、大学に講座を持っていて、普段はこの街で家族と暮らしている。年齢は私より十八歳も上で、もうすぐ還暦を迎える。
《ごめんなさい、今日はやっぱり行けない》
山岡さんからのそのLINEに私が気づいたのは、新幹線を降りて、駅のホームのエスカレーターを下っているときだった。慌てて事情を訊ねる返信をすると、どうしても家を出られなくなってしまった、という曖昧な答えが返ってきた。
《でも、こっちに来ちゃっているなら、店には予約入れてあるから、もしよかったら一人で行ってきなよ》
そのままホームのエスカレーターを再び上がって、すぐに東京に帰ることも考えた。でも、このコロナ禍の中、スケジュールを調整しわざわざ遠くまでやって来た、その労力のすべてを無駄にしてしまうことが、なんとなく、私をためらわせた。予約したビジネスホテルのキャンセル料を払うのもばかばかしかった。
◇
真田といいます。山岡さんの知り合いで。
店員に告げると、お待ちしていました、とすぐに席に案内された。アクリル板で仕切られた四人掛けのテーブル席。店員の口ぶりからは、なんとなく、山岡さんがこの店の常連であることが察せられた。奥さんや家族と一緒にここに来ることもあるのだろうか。
「たまには、一緒に音楽を聴かないか」
この街に来る口実ができたとき、私が電話をかけて予定の日を告げると、山岡さんはそう言って説明をはじめた。
駅前に音楽を聴きながら食事ができるいい店があってね。金曜と土曜にフロアにステージを作ってライブみたいなのをやっているんだよ。来週は四重奏の子たちが演奏するんだ。ほら、コロナで大変だろう、今、演奏する場がなくて。もし君がよかったら、一緒にどうだい。ご飯も、けっこう美味しいんだよ。お酒もいっぱいあるし。ワインも、こっちの地酒も。
好きな人と音楽の生演奏を聴きながら食事ができるなら、私としても異存はなかった。
「楽しみにしてますね」
「うん、そうしていてよ」
あまりにも楽しみにし過ぎて、午後の新幹線に乗る予定が、私はその日の仕事を朝のうちに片づけ、昼前にはもう東京駅で切符を買っていた。
◇
山岡さんからの連絡を受けた後、私はひとまず予約したホテルにチェックインして、周辺をぶらぶら観光しながら時間をつぶした。
山岡さんとの関係は、もう五年におよぶ。
週に一度、彼が大学の講座のために東京に来るときに、その仕事の後の空き時間に落ち合うのがパターンだ。丸の内とか銀座とか、東京駅の周辺で夕飯をともにして、彼が最終の新幹線に乗るのを改札で見送る。新型コロナの騒ぎがはじまるまでは、ずっとその繰り返しだった。
でも去年の春を境に状況が変わった。大学の授業がリモートに切り替わり、彼は東京に来る必要がなくなった。授業は、同い年の奥さんと、高校生の息子さんと、中学生の娘さんのいる自宅で、学生ではなくパソコンに向かって話しかけることですべて完了するのだそうだ。
《山岡さん、会いたいよ》
《うん、僕もだよ。すごく会いたいよ》
ときどき、私はLINEをした。
ひとまわりも年上のわりに、上手な絵文字の使い方で、山岡さんはちゃんと反応してくれる。でも、会いに来てはくれなかった。
だったら、会いに行くしかない、と思った。
◇
感染症対策で間延びした配置のテーブル席がようやく客で埋まり、奥のステージで演奏者が楽器の準備を始めた。
シックな黒の衣装で統一された四人の弦楽奏者はみな女性で、私よりひとまわり下くらい、二十代の終わりから三十代半ばまでといったところだった。
私は四人がけのテーブル席にひとりで座っているのが、なんだか妙な気がした。向かい合う相手がいないのに、と。
そこで店員にお願いをして、入り口の近くのカウンター席に移動させてもらった。そこからは身体を斜めにひねって振り向かないと演奏者を見ることができないけれど、構わなかった。山岡さんがいないなら、音楽なんて、食事なんて、どうでもよかった。
アペリティフとサラダを頼んで、しばらくすると演奏がはじまった。紹介のアナウンスもなければ、照明の暗転もない、さらりとしたはじまりだった。
◇
私は音楽のことはよくわからない。普段はポップミュージックしか聴かないし(それも学生時代に好きだったものを繰り返し聴くだけだ)、クラシックにも縁がない。四重奏、というのが弦楽器の四人編成のことだと、この店に入ってからようやく知った。
ひとりで音楽を聴くなんて退屈かな、と思っていたけれど、最初から耳馴染みのある曲が続いた。コマーシャルとか映画とか、どこかで聴いたことのあるメロディ。一昔前、コンピレーションCDが流行った頃のようなラインナップだと感じた。きっと、お客さんが飽きないように、誰でも楽しめるように、そういう選曲にせざるをえないのだろう、こんなご時世だからこそ余計に、と思うと、なんだか無心に弓を動かしている彼女たちが不憫に思えた。
もっと、自分たちの弾きたい曲を演奏すればいいのに。
◇
二杯目に軽いカクテルを飲んで、それからメインの肉料理と一緒に三杯目にワインを飲んで、もう十分、という感じがした。
演奏は続いていたけれど、これ以上飲んで酔っ払うと、山岡さんに会いたくてたまらなくなってしまう。早めにホテルに引き上げて、朝早い新幹線で東京に帰ろう。
店員に勘定をお願いすると、お支払いは結構です、と返された。山岡さんのおごりということになっているらしい。
では遠慮なくご馳走になります、と胸の内で山岡さんに軽く頭を下げ、グラスに残ったワインを飲み干そうとしたときだった。
バイオリンの、オペラっぽい旋律が、すっと耳に入ってきた。
あれ、なんだろう、これは。
どこかで聴いたことのある、それもただ耳にしたことがあるとかではなく、もっと心の奥深くで聴いたことのある曲だった。
低音が加わり、曲調が変わった。優雅なのに不穏な、じっと息を殺して狙いを定めるステルス戦闘機のような雰囲気。これもどこかで聴いたことがある、何だっけ。どこだっけ。いつだっけ。
すると、急に上昇気流にのるようにぐっとテンポが上がり、あのメロディがはじまった。これはあれだ。
A Question of Honour ―
◇
二十代のとき、学生時代から数えて八年間付き合った人がいた。
彼はサッカーが好きで、日本代表が好きで、私たちはいつも一緒にテレビの代表戦を見た。
テレビ中継がはじまるとき、CMが流れるとき、いつも決まって、このメロディも一緒だった。負けられない戦いがそこにある。四年間の集大成。そんなフレーズとともに。
◇
音楽にたいして興味のない私が、わざわざ調べて、恋人のために買ってあげたCD。サラ・ブライトマン。その最後から二曲目に、「A Question of Honour」は収録されていた。
彼は仕事で何か大事なプレゼンがあるときとか、大きな現場を抱えているとき、朝、それを流して部屋を出た。
これを聴くと勇気が出るのだと、負けられない気持ちになるのだと、頼もしそうに言った。
中田英寿、中村俊輔、闘莉王、香川真司の顔が次々に浮かぶ。サムライブルーのユニフォーム。ジーコやオシムや岡田武史やザッケローニ。川平慈英、松木安太郎、セルジオ越後。日本代表のすべてを愛していた彼は、いつも得点力不足を嘆きながら、勝てば喜び、負ければ悔しがり、いつも何かと戦っていた。
当時の私はテレビの制作会社で雑用アシスタントのような仕事に追われ、彼は彼で広告代理店の営業だったから、互いに寝る暇を惜しんで働いていた。
同棲していても、恋人同士というよりも、戦友同士という感覚に近かった。私たちには、いつだってそれぞれの本当に負けられない戦いが、目の前にあった。
アルベルト・ザッケローニが日本代表の監督に就任して少し経ってから、私たちは別れた。
喧嘩をしたわけでも、どちらかが付き合いに飽きたわけでもなかった。八年も一緒に暮らせば、いまさら性格がとか、身体の相性がとか、そんなことは関係なかった。
三十歳になる直前だった。
結婚するか、しないか。言葉にして、直接その問題と向き合ったわけではない。互いに、空気で感じ合った。
それは今思えば、名誉の問題だったかもしれない。
彼は彼の人生が何よりも大切だった。でも私にだって、私の人生があった。そう思ったから、そのとき別れた。
きっとそのうち新しい誰かと出会って、そのときに私の人生はまた動き出す。そう信じていた。仕事はどんどん忙しくなった。目の前の戦いに勝ち続ければ、いずれ、何かが手に入るはずだった。
彼と別れて一年経った頃、彼から久しぶりに連絡があった。結婚の報告だった。
それを聞いたとき、私は自分が失ったものにようやく気づいた。そして、それがもう二度と手に入らないということも。
数年後、私は仕事を通して山岡さんと知り合い、なんとなく誘われるまま関係を持った。そのときの喜びと慰めをずるずると引きずって、私の人生は続いている。負けられない戦いなど、もうどこにもない。私は負けることをよしとした。せめて、負け試合をなんとか引き分けにもちこむことが、今の私の人生である。
◇
A Question of Honour ―
曲が終わり、次の曲がはじまるまでの拍手のあいだに、私は店を出た。
東京よりも夜の気温が低い。
駅の近くなのに明かりはまばらで、この街は最初からソーシャルディスタンスが保たれているかのようだった。
ホテルまでの短い距離を歩きながら、ラララーと小さく口にしてみる。英語の歌詞が分からないし、音程もひどいから、本当に、人とすれ違っても聞こえないほどの小さな声で。勇敢なメロディがアルコールの熱とともに、血液に運ばれて身体を巡っていくような感じがする。
あの八年間の、何もかもが懐かしい。
何もかもが懐かしいということは、何もかもがとっくに終わったということだ。
あのとき、負けられない戦いがあった。そして私は何に負けたのだろう。
不倫しているといったって、もう何ヶ月も山岡さんに会っていない。それはもう不倫ですらない。山岡さんにとって、このコロナ禍がとても都合のいいものであることに、いい加減、私は気づかないといけない。
もう、ここには来ない。それを今夜決めることこそ、私にとっては名誉の問題なのかもしれない。
■
FOOTBALL SHORT NOVELS COLLECTION :
FOOTBALL AND LOVE SONG
Written by Masashi Fujita
© 2019. MASASHI FUJITA All Rights Reserved.