#40
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映像制作会社勤務のディレクター、吉田成亮はシティを応援して五年になる。
それは名将ペップ・グアルディオラがマンチェスターの「弱い方」の監督に就任してからの(正確には、マンチーニやペジェグリーニの手によって「弱い方」ではなくなってからの)、今の常勝軍団確立までの年月と重なる。
◇
五年前の春、吉田はヘッドハンティングのようなかたちで勧誘され、今の会社に中途で入社した。企業のイメージCFを中心とした映像制作の統括ディレクターという立場は、旧態依然とした前の会社にいては三十歳でとても到達できるポジションではなかったから、迷うことなく転職を決めた。
そのポストに就任した時点で、吉田の下には実際に映像を撮影・編集するクリエイティブチームの他に、坂崎悠真という三歳年下の営業担当がついた。
「俺、プレミアが好きなんすよ」
歓迎会と称された飲み会で、ほぼ初対面の悠真は吉田の隣の席で言った。自己紹介を兼ねた互いの趣味の話になったときだった。吉田も高校時代までサッカーをやっていたので、話を合わせやすかった。懐かしい時代の選手たちの名前を出すと、悠真は喜んでくれた。
「ペップがシティに来ましたよね。でも俺はリヴァプール命なんで。クロップ、やばいっすよ。絶対強くなりますよ」
吉田は社会人になってからはサッカーなんてほとんど見ていなかった。仕事で忙しかったのもあったし、学生時代の熱が冷め、たいして興味も湧かなくなった。
それでも、これから仕事のパートナーとなる男がリヴァプールの大ファンだというのなら、自分もまたサッカーを見はじめてもいいかもしれない。そう思った。
「じゃあ、俺は昔バルサ好きだったから、今年からシティを応援しようかな」
「おお、まじすか。負けないっすよ」
◇
あれから五年。
今も吉田の下には悠真がいる。ふたりはずっと互いを信頼し合って仕事に取り組んできた。ふたりでたくさんのクライアントを獲得した。ふたりが手がけた作品が映像の賞を獲ったこともあった。結果を出して、それを誇りながら互いを刺激し合い、社内で一目置かれるコンビになった。
情緒と理論。それが吉田と悠真の互いの特性だ。説得が得意な吉田と、論理的な資料づくりが得意な悠真。クライアントとテーブルについたとき、吉田のプランが外れると、悠真が脇からロジカルな提案ですかさずフォローした。悠真の提案書で相手が首を傾げたときは、吉田が胸に訴える演説でクライアントの心を掴んだ。まさに名コンビだった。
そして仕事の合間の雑談はいつもサッカーの話だった。
「プレミアはシティに譲りますから、CLこっちにくださいよ」
「冗談じゃないよ」
「えー、いいじゃないすか」
「お前はカラバオで満足しろ」
「いやいや。あ、じゃあカラバオとFAカップをセットでCLと交換しません?」
「そのトレード、まったくフェアじゃないよな。ファン・ダイクとアレクサンダー・アーノルドもつけてくれるなら別だけど」
「いやいや。そっちCB余ってるし、ウォーカーいるじゃないすか」
◇
吉田が入社していちばん最初に悠真とのコンビで獲得したクライアントに、Xという食品メーカーがあった。健康食品をメインに製造販売している、業界では老舗の部類にあたる企業で、単発の商品紹介だけでなく、シリーズもののCFやブランディングも含めて毎年かなりの金額で受注していた。
そのXとの契約が、先週、切れた。
相手の広報担当者が変わったことで取引先を一から選び直すことになり、そのプレゼンに参加したものの、負けてしまったのだ。
吉田にとっても、悠真にとっても、会社にとってもそのショックは大きかった。
「最悪のミッドウィークだよ」
平日のことをミッドウィークと呼ぶのは、ふたりにとって隠語のようなものだ。
「シティもやばい負け方しましたしね」
「それ言うな」
「あれはツラいっすよね」
「だから言うなって」
チャンピオンズリーグの準決勝、セカンドレグで、シティは世界一のビッグクラブ、レアル・マドリーに「奇跡」としか表現できないような敗北を喫した。
二点のアドバンテージで試合を終えようとしていたのに、九〇分、そして九〇分+一分で同点に追いつかれ、延長で逆転されてしまったのだ。
「まあ、これでCLはご馳走様です」
同じく準決勝に進んだリヴァプールはビジャ・レアルを順当に下して、決勝進出を決めていた。
「つーか、またCL獲っちゃうのかー」
「レアルは強いぞ、浮かれんな」
「でもペップも言ってた『歴史』って点では、シティよりもうちの方が断然ありますからね」
「うるせえよ」
「知ってます? うち、もうCL通算六回獲ってんすよ。あれ? シティっていくつでしたっけ」
「うっせえ、死ね、お前」
「ちょっと、いくらなんでも死ねはないでしょう。冗談でも部下にそんなこと言ったのバレたら、会社にいられなくなる時代っすよ」
「お前がムカつくからだよ」
「てか、Xのプレゼン、明らかに吉田さん集中欠いてましたよね。シティのことでショック引きずるのは勝手だけど、仕事に影響するのどうかと思いますよ」
「何言ってんだよ。関係ねえよ」
そこから、珍しく口論になってしまった。
「お前の資料こそなんだよ、あんなコピペ資料で通るわけないだろ。Xならこれでいける、みたいにナメてたのはお前だろう」
「はあ? そもそも吉田さんのコンセプトがはねつけられたんでしょうが。俺のせいにするとかあり得ないですよね」
Xの結果が出たのが木曜日の夕方。翌日の金曜日は、週明けに控えていた別のクライアントのプレゼンの大事な準備の日だったのだが、ふたりは互いに腹を立て、ほとんど会話らしい会話を交わさなかった。
「吉田さん、月曜はまともな状態で会社に来てくださいよ」
金曜の夜、悠真は目を合わせずに、そんな捨て台詞を吐いて会社を出て行った。吉田は吉田で、悠真に聞こえるように舌打ちだけを返した。
◇
日曜の夜、吉田は迷った。
プレミアのシティ戦の生中継を見るか、それとも見ないで寝るか。
前日、プレミアの覇権を争うリヴァプールはホームでトッテナムと引き分けていた。結果を知ったときは悠真の悔しがる顔が思い浮かんで、思わずLINEでもしてやろうかとスマホを手にとったが、これ以上ふたりの間に亀裂をつくると月曜のプレゼンに影響しそうなのでやめた。
今夜のシティの相手はニューカッスル。シティが勝てば、残り三試合、優勝争いで大きなアドバンテージを得ることになる。でも、もし負けたら……。
今シーズンもまたチャンピオンズリーグを落とした。そのショックは重い。大きい。失意というのは三日や四日で解消されるものではない。
「CLCLって、うるせえんだよ」
ため息とともに独り言が口をつく。
ペップ・シティを語るとき、メディアやアンチはいつだってCLを持ち出す。何度プレミアを制覇しようと、CLで優勝しない限りは成功ではないと言わんばかりだ。実際そういう記事やコメントをしょっちゅう目にする。金をかけても勝利は買えないとか、ペップの限界だとか。ふざけるなと思う。CLで勝たないと認められないなら、欧州サッカーのほぼすべての選手や監督はダメな存在ということになる。
悠真に話を合わせるために何気なく見はじめたプレミアだが、吉田はペップのシティに完全にハマっていた。素晴らしいチームだと思う。このチームを後世に語り継ぐためにも、アンチを黙らせるためにも、やはり、CLを獲って欲しい。結局、シティというチームにとっても、それを極東の島国の片隅で応援する吉田にとっても、それが悲願なのだ。
ところが、またしてもペップ・シティは敗れてしまった。本当に、サッカーの神様が急に機嫌を損ねてそっぽを向いてしまったような奇跡的な負け方で。
そんな負け試合を経験した直後の国内リーグ戦。格下相手といっても、きっと簡単ではないだろう。選手たちの気落ちは間違いのないところだ。もしここでショックを引きずってニューカッスルに足元を掬われると、リヴァプールと同勝ち点で並び、得失点差で逆転される。首位から陥落する。負けることはなくても、ガチガチに守りを固める相手を崩せずに九〇分を終える可能性は十分にある。そうなったら一気に優勝争いの流れが変わる。
見たくない、と思った。
ここで負けたらそのままずるずる、最悪な雰囲気でシーズンを終えてしまうかもしれない。無冠。そしてリヴァプールが四冠なんてことになったら最悪だ。
寝不足で、負け試合のショックを引きずって、大事なプレゼンに臨むわけにはいかない。それは確かに悠真の言うとおりだった。
◇
月曜朝、吉田はいつもの時間に目を覚ました。
そのままいつもの癖で枕元のスマホを手にとり、ニュースアプリを立ち上げようとして、ハッとする。ここでシティの結果を見てはいけない。もし負けていたら、最悪の気分で出勤する羽目になる。
DAZNのハイライトを見たい欲求を抑えて、吉田はシャワーを浴びて支度をし、プレゼンに臨むときいつも着ることにしている高価なスーツに袖を通した。
出社すると、すでにデスクの上に資料がまとめられていた。どんなに分厚くても四隅をきっちりと揃えた紙の束。その清潔さ、完璧さが悠真のいつもの提案書だ。
「渋滞心配なんで、予定の十分前に出ます」
朝の挨拶をすっ飛ばして、悠真が顔を出し、言った。提案先のクライアントYの本社までは都内をだいぶ走らないといけない。
「わかった」
◇
会社の車はいつも悠真が運転する。
道中、吉田は助手席で資料に改めて目を通す。このときに、その日のプレゼンで肝になるポイントがどこなのかを、直感的に把握する。この時間が吉田にとっていかに大切かを知っているから、悠真は運転しているあいだ、けっして口を開かない。
渋滞を見越して早めに出発したものの、都内の道は案外空いていて、Yの本社の駐車場にはアポイントの時間の二十分前に到着した。
吉田は膝に載せた資料を閉じて、それを自分のブリーフケースにしまう。要点はつかんだ。あとはいつものように、誠心誠意、クライアントに向き合うだけだ。
「まだ時間あるな」
「あります」
「五分前になったら出よう」
「プレミア、見ました?」
そのとき悠真が言った。少し不機嫌な声だ。
「いや」
「珍しいっすね」
「お前に言われたとおり、まともなメンタルを保てるように反省したんだよ。もし負けて、またそのせいでプレゼン負けたって言われたらたまんないだろ」
「見た方がいいっすよ」
「あ?」
「DAZNのハイライト。俺は見たくないっすけど」
まだ時間あるし、と言うように、悠真がまたちらりと車のデジタル時計を見る。
吉田はスマホのアプリを立ち上げた。そしてマンチェスター・シティ対ニューカッスルのサムネイルをタップした。
ラヒーム・スターリング
アイメリク・ラポルテ
ロドリ
フィル・フォーデン
そして最後に再びスターリング
五対〇。すべての不安が杞憂に終わる、見事な快勝だった。
「終盤に二ゴール追加ってとこが、やっぱ強いっすね。何がって、メンタルが。いやもう、これで得失点もやられたし、残り三試合で逆転はムズいっす。四冠はさすがに諦めました」
「見ればよかった」
「でしょ? だから、見て欲しかったんですよ」
吉田が画面から目を離し横を向くと、悠真は得意そうに、にっこりと頬笑んだ。
「やっぱシティは強えっす」
いくら名コンビといえど、仕事でぎくしゃくすることはこれまでも何度もあった。でもその度に、サッカーがふたりをつないでくれた。悠真がミスをして落ち込んでいるとき、吉田はリヴァプールのプレミア制覇を口実に焼肉をご馳走した。逆に吉田の仕事がうまくいかないとき、悠真はカラバオ三連覇にこじつけてエナジードリンクを毎日吉田のデスクに差し入れてくれた。
「俺ら、今日はシティで行きましょうよ」
「なんだよそれ」
「先週負けたけど、ショックを引きずらないであっさり勝つ。強さを見せつける。そういうプレゼンしましょ。俺、デブライネするんで、吉田さんフォーデンしてください」
「マフレズでもいいか?」
「いっすよ。右四十五度から、綺麗にまいてファーに決めてくださいよ」
「わかった」
「キーパーに弾かれたら、俺、詰めるんで」
お互いのイメージの共有は完璧だ。
「そろそろっすね」
悠真が時間を確かめる。
「よし、行くか」
俺らは同時にドアのハンドルに手をかけ、ガチャ、と車を出る。
ここはきっと、エディハドだ。
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Written by Masashi Fujita
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