#42

ファーガソン以降のすべてをあなたに
All about the post-Ferguson era

読了時間:約5〜10分

 サー・アレックス・ファーガソンがマンチェスター・ユナイテッドの監督を勇退したその年に、保さんは亡くなった。
 Jリーグが開幕するずっと昔からサッカーが好きで、晩年、海外のサッカー中継を見ることが唯一の趣味らしい趣味だった保さんは、特にマンチェスター・ユナイテッドがお気に入りだった。
 保さんは六八歳で会社を辞め、その年の夏にあっけなく亡くなった。仕事の激務とストレスのせいで早死にしてしまったのだと私は思っている。サッカーもその一因だったかもしれない。真夜中に興奮してテレビにかじりつく、その生活習慣が健康にいいわけがない。役員に昇格した年の健康診断で引っかかり、規則正しい生活を、と担当医から注意されて以来、保さんは生中継での観戦をあきらめ、試合を録画して朝見るようになった。私もご飯の支度をしながら一緒にテレビを見る、それが退屈な週末の朝の風景だった。
 マンチェスター・ユナイテッドはとても強いチームだった。堂々とした真っ赤なユニフォームが、その強さの象徴のように鮮やかだった。
「日本のプロ野球でいえば、読売巨人軍のような存在だよ」
 まだ私がイングランド代表をイギリス代表と呼んでいた頃、保さんは誇らしげにそう言った。彼が得意げにものを言うのは、マンチェスター・ユナイテッドのこと以外、聞いたことがない。普段はとても控えめな人だった。営業成績が社内一位になって表彰されたときも、念願の役員になったときも、偉そうなことは何ひとつ口にしなかった。そしてそんな彼のことが、私はいつも誇らしかった。保さんがそういう人だからこそ、何の不満もなく結婚生活を四十年も続けられたのだと私は思う。
 
 ◇
 
 保さんが亡くなった後、私の生活は何も変わらなかった。
 都内のマンションはローン完済済みだし、今の若い人に申し訳ないくらいの年金をもらえているので暮らしむきに困ることはない。保さんが残してくれた貯金もまだたっぷりある。おそらく死ぬまで今の暮らしが続くのだろう。
 ふたりのあいだに子どもはできなかった。幸か不幸か、だから七十歳を過ぎてのひとり暮らしでも、誰かに余計な心配をかけることはない。心配してくれるような人もいない。六つ年下の妹がときどき口やかましいことを言いに郷里から電話をかけてくるが、あれはただ本人が退屈を持て余して話し相手が欲しいだけだ。
 ファーガソンが監督を退いたのが十年前だから、保さんが亡くなってもう十年も経つ。あっという間、というには長いけれど、それでもあまり時間の長さを感じない。
 私は今も週末の朝、あるいは月曜日の朝、ユナイテッドの試合を見ている。それはもう、火曜日の午後に陶芸教室に通うとか、金曜日はお花屋さんで花を買うとか、月に一回、保さんの好きだったレストランで食事をするとか、そういうのと同じ、私にとってはいつもの生活の習慣の一部だ。
 保さんが亡くなってすぐの頃は、私なりに感傷みたいなものがあって、フォトフレームに飾った彼の写真をソファの正面  彼がいつも座っていた場所に置いて一緒に試合を見た。でもそのうちなんだかそれはやり過ぎのような気がして、普通にひとりで見るようになった。保さんが座っていた場所に、私の大きなお尻を沈めて。
 ユナイテッドのゴールが決まると、私は小さく拍手をする。ぱちぱちぱちぱち。それをすると、保さんがどこかで喜んでくれるような気がするのだ。
 保さんと一緒に見ていたときはずっとファーガソンが監督だったのに  モイーズ、ギグス、ファンハール、モウリーニョ、スールシャールにキャリック、ラングニック  全員思い出すのに時間がかかるほど、ユナイテッドの監督はこの十年でずいぶん変わった。
 私のお気に入りはやっぱり、見た目で選んでモウリーニョ。でも保さんはあまり好きじゃないだろうな、とちょっと思う。
 
 ◇
 
 去年の春、東京に用事があると言って、田舎から妹が出てきた。
 ホテルに泊まるのがもったいないからひと晩泊めてくれというので、泊めてやった。珍しくお酒を飲んで、姉妹で近況報告をし合った。といっても、しゃべるのはほとんど妹の方だけれど。私には話して聞かせるようなことなんて何もない。
 その日はユナイテッドとシティの大事なマンチェスター・ダービーの日だった。私は翌朝、早く起きてそれを見た。ビデオ録画ではなく、DAZN。横山さんにお願いしてテレビで見られるように設定してもらったDAZN。いつでも好きなときに試合が見られるからとても便利だ。保さんが生きていたら、とよく思う。今は料金さえ支払えば、主要リーグのほとんどの試合をいつでも見られる。
 (すごいわよね。あなたに、見せてあげたいわ。でも、シティがこんなに強くなったのは見たくないわよね。)
 そう、いつの間にかマンチェスターといえばユナイテッドではなくなって、この数年、常にシティが順位表の上にいる。ダービーでもここのところやられっぱなしだ。それでも、やっぱりダービーはダービー。何としても応援しなくちゃ。
 ルーク・ショーのゴールが決まった瞬間、私は思わずソファから立ち上がって、やったやったと拍手をした。エディハドで後半二点リードだなんて、嬉しくてしょうがない。リーグ優勝は譲っても、この試合は譲らない。
 そのとき、背後に視線を感じた。振り向くと、パジャマ姿の妹が立っていた。眉をひそめて、おかしなものを見るような目つきで。
「なあに?」
「いや、なんでもない。洗面所借りるわよ」
「どうぞ。朝ご飯、この試合が終わってからでもいい?」
「あんたんちなんだから、あんたのペースでどうぞ」
 ユナイテッドの勝利で試合が終わり、田舎から妹が土産に持ってきた漬け物をおかずに朝ご飯を食べていると、妹は言った。
「お姉ちゃんさ、ペットでも飼えば?」
「なあに、それ?」
「ペットでも飼えばいいんじゃないの? このマンション、ペットOKなんでしょ」
「なんでそんなものが要るの?」
 妹はため息をついて、なんでもない、忘れて、と言った。言ってから、サッカーなんて、と小さく呟く。
「シティとの試合はね、特別なの」
 私は言った。
 でも妹は、私の着ている赤いシャツに、部屋に飾った赤いマフラーに、食卓の上の赤いマグカップに、憐れむような視線を向けるだけだった。
「お姉ちゃん、何かあったら、ちゃんと連絡するんだよ」
 妹はそう言い残して、心配そうな顔で帰っていった。死んだ夫のまぼろしをずっと見続けている頭のおかしい姉を、どうしたものかと考えながら、帰りの新幹線でまたため息をつくのだろう。おかしなことなんて何もないのに。七十過ぎのおばあさんがDAZNで外国のサッカーに夢中になっておかしなことなんて何もないのに。
 
 ◇
 
 先月、保さんの後輩の横山さんがまたいつものように仏壇に線香を上げにやってきた。
 いつもと違うのは、高そうなメロンを抱えていたことだ。メロンは保さんの大好物だった。夫の好物を今も知っているのは、もう私と横山さんのふたりだけだ。
「今年のプレミアは、DAZNは無理みたいですね」
 横山さんは言った。少し顔色が悪かった。眼窩が前よりくぼんで、疲れているように見えた。
「無理ってどういうこと?」
「放映権です。DAZNはプレミアから撤退するみたいです」
「じゃあ見れなくなっちゃうの?」
「ABEMAとSPOTV NOWで見られます」
「そんなこと言われてもちんぷんかんぷんよ」
「はは、奥さんがそう言うと思って、ちゃんと用意してきましたよ」
 横山さんはそう言って、ブリーフケースの中からノートパソコンを一台取りだした。
「これ、使ってください。僕が仕事で使っていたやつなのでだいぶ古い型ですけど、じゅうぶん使えますから。設定は全部やっておきましたから。操作のやり方も、紙に書いておきました」
 保さんが倒れたとき、病院に真っ先にかけつけてくれたのが横山さんだった。保さんより五つ下の横山さんは、今、保さんがかつて務めていたポストで仕事をしている。彼が新入社員だった頃から、保さんはずっと横山さんのことをかわいがってきた。愛弟子ともいえる大切な後輩だ。
「でも悪いわ」
「いいんですよ。僕にはもうこういうものは必要ないので。保さんに恩返しできるとしたら、このくらいしか思いつかないし」
 ははは、と横山さんはまた笑った。私は何が面白いのかまったくわからなかったけれど、彼にあわせて、ふふ、と笑った。
 横山さんの奥さんから電話がかかってきたのは、それからすぐのことだった。横山さんが入院したこと、彼が病室で、私がちゃんとパソコンを操作できているか気にしてばかりだということ、もし見られなかったら遠慮なく電話をしてほしいこと、そういうことを伝えられた。電話の向こうの口ぶりから、だいぶ悪いのだな、とわかった。
 こうして、私のまわりから私の大切な人がまたひとり、いなくなっていく。これが歳をとるということだ。
 
 ◇
 
 朝起きて、パソコンの電源を入れる。テレビよりも画面が小さくて見にくいかと思っていたけれど、ソファに座って膝の上にそれを載せると、案外ちょうどいい。
 横山さんが書いてくれた丁寧な説明書のとおりに操作し、SPOTV NOWの画面を呼び出す。矢印を動かす操作が不慣れで上手にできないけれど、でもちゃんと、それは出てきた。
 マンチェスター・ユナイテッドの開幕戦。今年から、監督はエリック・テン・ハフ。オランダの人で、まだ五十二歳。
 かつて保さんと一緒に応援したクリスティアーノ・ロナウドは、去年、ユナイテッドに戻ってきた。でも今日はベンチからのスタートだ。
「さて、今年も夏が来ましたね」
 私は口に出して、言った。誰に聞かせるわけでもない。しいて言えば、過去に、聞かせているのかもしれない。返事のかわりに、蝉の鳴き声が聞こえる。薄いレースのカーテンの向こうで、夏の日差しが眩しい。
 保さんが亡くなって十年、ファーガソン以降の試合のほとんどを、私はひとりで見てきた。
 (すっかり詳しくなって、今ならもっとあなたとサッカーの話ができるのに。いつか、話をしましょうね。みんな、あなたに話してきかせてあげる。でも、今のユナイテッドはまだ、あなたが誇らしく思っていた頃のユナイテッドには戻れていないわ。そのときが来るまで、私はもう少し、こっちでひとりで頑張るわね。)
 
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FOOTBALL SHORT NOVELS COLLECTION :
FOOTBALL AND LOVE SONG
Written by Masashi Fujita

memo

前回と同じく「夫婦とサッカー」をテーマにして書いてみました。うだるような日本の暑い夏、その盛りを過ぎる頃に、新しいシーズンがやってくる欧州サッカー。朝から暑いなあと汗をぬぐいながら、ワクワクしながら開幕カードを早朝に見る、夏の風物詩のようなものです。愛する人が去っても、愛する人が愛したものは残る、とはよく聞く話ですが、もしそれがサッカーだったら、という小さなお話です。