#47
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「ワールドカップが秋なんて、いまいち盛り上がらないんだよなあ」
なんて開幕前に言っていたおれだが、決勝トーナメントがいよいよ佳境にさしかかった今、おれは四六時中ワールドカップのことを考えている。
過去最高に楽しい大会じゃないか。
最高にスリリングな大会じゃないか。
まじ楽しい。
気持ちが180度変わったのは、何を隠そう、WINNERをやっているからだ。
スポーツくじ。国が認めた賭けごと。
試合のスコアを当てると、お金が増える。
やばい。楽しすぎる。
元サッカー部の友達からその存在を聞いてためしにネットバンクに口座を開設し、小額ではじめてみて、完全にハマった。面白くてたまらなくなってしまった。今はなけなしの貯金をすべてその口座に移し、ワールドカップを見ながら、ピッチの上の勝敗とは別の個人的な勝ち負けを繰り返している。
◇
ワールドカップがはじまってからというもの、おれは会う友達、会う友達、ほぼ全員にWINNERを勧めてまわっている。楽しいことはみんなで共有したい。盛り上がりたい。
恋人のルミにも当然、すすめた。
「お前もやれよ、めっちゃ楽しいよ」
「え、やだよ、お金賭けるのなんて」
「当たれば増えるんだぜ」
「やだよ」
「やってみろって。ほら今なら優勝予想もやってるからさ」
「じゃあケンちゃん、どこが優勝するか教えて」
「んー、まあ、ブラジルが最有力だけどそれじゃ面白くねえから、アルゼンチンかな。メッシの最後の大会になりそうだし、初戦はサウジに負けてやばかったけど、持ち直したし」
「アルゼンチンが優勝するとお金が増えるの?」
「ほら、見てみ、四倍か五倍になるんだぜ。一万円なら四万か五万」
「えーでも、私やっぱそういうのやだ」
「いいからやってみろって」
「当たるの?」
「当たる当たる。けっこう当たる。てか、悪いんだけどルミ、また金貸して」
「え、こないだも三万円貸したばっかじゃん」
「WINNERさあ、当たってもすぐには振り込まれないんだよ。払い戻しがあったらすぐ返せるから。頼む。もう二万」
「えー、ちゃんと返してよ」
そんな会話をしていたのは、グループリーグが終わり、ベスト16が出揃ったばかりのときだ。
そのときはまだ、素直に楽しかった。日本がスペインを撃破して気持ちがやけに盛り上がっていたし、おれはルミのことも普通に好きだった。
でも、決勝トーナメントの日本対クロアチアの夜、「日本代表はやっぱみんなで一緒に見たいよなー」なんて言い合って男友達数人でスポーツバーに繰り出し、そこで、おれはものすごくおれ好みの女に出会ってしまった。
名前はヒナコ。ひと目ぼれして、声をかけて、仲良くなって、少し事情が変わった。
◇
日本がPK戦の末、クロアチアに敗れた夜、おれはヒナコの部屋に泊まった。
一夜限り、のつもりだったのだが、ちょっとあまりにヒナコがよすぎて、ルミとは比べものにならないくらいよすぎて、おれは「感動的」と表現したくなるくらいの快感に痺れまくって、次の日も、そのまた次の日もヒナコの部屋に泊まりに行った。
そしたら、あっというまに浮気がルミにばれた。
当然、ルミは怒った。
怒った勢いで、そんなつもりなんて本当はないくせに別れ話なんぞを切り出してきたので、おれは、むしろこれは渡りに舟だと思って、「じゃあいいよ、別れようぜ」と切り返した。
「ケンちゃん、本気で言ってる?」
「本気も本気、まじよ」
「……」
ルミがいなくなってもおれにはヒナコがいる。そっちの方がいい。ヒナコ、かわいいし。ヒナコ、めっちゃおれ好みだし。
ところが、おれがそんなふうに居直ると、ルミがいきなり言い出しやがった。
「じゃあ貸してたお金、速攻で全額返して」
「は?」
「お金返して」
「いやいや、待ってよ」
「返してくんなかったら、その女に請求するから」
◇
ルミへの借金は10万円。
貧乏なアルバイト青年のおれにいきなりそんな金を払えだなんて、いくらなんでもあんまりだ。貸した金を返せ、という言い分は確かにもっともだが、んなもん、そもそも返せるものならとっくに返している。
WINNERの払い戻しさえあれば返せる、と思ったのだが、よく見ると払い戻しの合計より、外した金額の方がいつのまにか二倍も三倍も多くなっているのはなぜだろう。
「ルミちゃんさあ、せめて次の給料日まで待ってくんない?」
「じゃあお金返すまで、私、別れない」
「おいよいよいよい、別れるって言い出したのはそっちでしょ」
「別れるけど、お金返すまで別れないし、ケンちゃんがその女と付き合うのも認めない」
「脅迫すんなよ」
「こういうの脅迫っていわないし」
「ルミちゃんさあ、わかってくれよ」
「何をわかれっていうの?」
さて困った。
やはりWINNERに頼るしかないと思ったおれは、WINNERのために口座を開設した銀行のホームページを見に行った。いったい、WINNERというのは何口までお金を賭けられるのだろう。
そのホームページの説明書きには、99口が上限と書いてあった。ひと口200円だから、99口で19800円。
口座にログインすると、おれの口座の残高は2万円だった。おお、これも何かの思し召し。そう直感した俺は、99口、一点張りでWINNERを買うことに決めた。
ワールドカップの決勝戦、アルゼンチン対フランス、アルゼンチンが2対1で勝つ。
これが当たると、オッズは約5倍。つまり約10万円を生み出すことができる。それによってルミへの借金を全額返済し、晴れておれはヒナコと付き合うのだ。幸せをゲットするのだ。
◇
というわけで過去最高に面白かったワールドカップも、あとは決勝の一試合を残すのみである。
メッシは、この試合に、これまでの輝かしいキャリアのなかで唯一手に入れることのできなかったワールドカップ優勝のタイトルを賭けている。おれもまた、ヒナコという女を賭けている。
これまでの二十数年の人生、かなりちゃらんぽらんに生きてきたおれだが、大人になった今もそれなりにちゃらんぽらんに生きていられるのは、何を隠そう、運がいいからだ。
おれはこの試合でアルゼンチンが2対1で勝つことに疑いを持たなかったし、実際、メッシのPKとディマリアのゴールでアルゼンチンが2点を先制して前半を折り返したとき、きた、と思った。これはきた。絶対、きた。メッシだけじゃなく、おれもまた神の子だと思った。
後半、エムバペがPKを決め、いよいよスコアが2対1になったとき、俺はWINNERが当たることを確信した。
ところが、だ。
調子に乗って、一緒に試合を見ていたヒナコをベッドに誘い、「サッカー見るか私を見るかどっちかにして」とちょっと本気で怒られ、じゃあ試合が終わったらな、と笑って脱ぎかけのデニムをはき直し、ま、とりあえずビールでも、と祝杯の用意をしかけたとき、エムバペにやられた。
PKで1点返した直後の、同点ゴール。
「おいっ! ふざけんなよ、エムバペ! ダメだっ! 2対2じゃダメなんだよっ!」
「ちょとうるさい」
「オフサイドだろ! オフサイドだって言ってくれ! VARっ!」
「うるさい、黙って」
◇
おれのWINNERは外れた。
がっくし。
でも、祝杯一転、やけ酒となった缶ビールを飲みながら見た後半の残り時間と、延長戦、そしてPK戦は、ワールドカップの決勝戦として激烈に面白かった。
延長でのメッシの決勝ゴール。と思ったら、またしてもエムバペの同点ゴール。なんとワールドカップの決勝でハットトリックだ。そしてPK戦で全員が確実に決めるアルゼンチンの勝負強さ。さらに表彰式でのアルゼンチンGKエミリアーノ・マルティネスの下品なパフォーマンス。おれはああいうのが嫌いじゃない。お祭りにはギャグも必要だ。
なぜか黒い上着を着せられたメッシがトロフィーを掲げたとき、俺は心底、サッカーというスポーツの面白さに感動していた。
「いやあ、なんか、めっちゃ最高の試合だったな、やばいな」
おれは感動を共有するつもりで言ったのだが、振り向くとヒナコはベッドでテレビに背を向け、退屈そうにスマホで冬物衣料を見ていた。
「ヒナちゃん、試合、見てた?」
「ん、興味ないから見てない」
「メッシ、ついにワールドカップだよ」
「あ、そ」
「なんか感動しちゃったよ、おれ」
「今、買い物してんだから話しかけないで。あー、このニットよりこっちのワンピにしようかなー」
「……」
◇
翌日、バイトが終わったあと、おれはルミに電話をかけた。
「悪い、今月のバイト代、再来週入るからさ、そしたらまるごと渡すから、それまで金返すの待って」
無一文になったおれは、もう真面目に働き、真面目に給料日を待つしかない。それまではかすみを食って生きていこう。
すると、ルミは言った。
「いいよ、バイト代を取り上げちゃったら、ケンちゃん、生きていけないでしょ」
「え?」
「私、当たったんだよね」
「当たった?」
「そう。ケンちゃんにWINNER勧められたとき、こっそりやってみたんだよ。どんなに面白いのかと思って。ケンちゃんがアルゼンチンっていうから、アルゼンチンの優勝を買ってみたの」
「……」
「お金増えたから、もうそれで借金返済でいいよ。だから、もういい。私もそれでふんぎりついた」
「え、いいの?」
「うん。じゃあね。これで私たち、おしまいだね。ケンちゃん、今までありがとう。くそムカつく彼氏だったけど、最後までダメ男だったけど、私、ケンちゃんといて楽しかったよ。サッカーもいっぱい一緒に見れたし」
「……」
「じゃあね」
「あ、ちょ、ルミ、ちょと待って」
「何?」
おれの頭の中に、そのとき、ふたつの映像が浮かんだ。
ひとつは、昨日、俺がワールドカップを見ていた横でスマホばっか見ていたヒナコ。
もうひとつは、俺がサッカー見ているとき、いつも一緒に見てくれたルミ。ゴールが決まると一緒に一喜一憂し、サッカーを見ることを楽しんでくれたルミ。付き合いはじめたときから、ルミはずっと、おれの好きなものを好きになろうとしてくれた。WINNERにも、結局、付き合ってくれた。
「……ルミ、やり直さないか」
「え。なに今さら」
「おれやっぱ、ルミが大事」
「てかケンちゃん、昨日もその女の部屋に泊まったんじゃないの?」
「いや、まあ、泊まったけど、それはそれとして、おれ、ルミとやり直したい」
「無理。どの口が言ってんだか」
「ごめん、まじごめん」
「その女と別れんの?」
「別れる別れる、速攻別れる。エムバペのカウンター並みの速さで別れる」
「じゃあ別れてからもう一回言って」
「わかった」
電話を切って、おれはヒナコの部屋に向かった。
LINEに、これから行くよ、と打ち込みながら、「ヒナコちゃん、君はおれにとってのカタールの思い出だぜ」なんてキザな台詞を思いつき、いい女なのになあ、と口惜しい気持ちになった。
別れ話は、部屋に行って一発やってそのあとにしよう。とりあえず金の心配がひとつなくなってひと安心のおれは、そろそろ自分の人生、考え直した方がいいのかもしれない、と、ほんのちょっとだけ思った。
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Written by Masashi Fujita
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