#07
読了時間:約5〜10分
別れ話というのはもっと激烈なものかと思っていた。
泣いたり喚いたり、お互いを傷つけ合うような言葉の応酬になって、挙げ句、食器棚のグラスやお皿がいくつも割れてしまうような。でも、部屋のソファで体育座りをしている和良さんは怖いくらいにおとなしくて静かだし、私も案外、落ち着いている。
和良さんが今夜、「もう終わりにしよう」と告げに来ることはわかっていた。彼には奥さんがいて、小学生の娘さんもいる。私たちの関係には先がない。それは最初から決まっていたことだった。今になって思い返せば、私は、タイムアップの笛をポケットに隠し持つ和良さんのそばで、それがいつ吹かれるかびくびくしながらボールを追いかけ続ける、敗者のようなものだった。
「そろそろ行こうかな」と、和良さんが言った。別れ話はとうに済んでいた。私はキッチンに立ってお湯を沸かしはじめたところだったので、もう少ししてからにすれば、とわざと軽い調子で返した。
「コーヒー淹れるからせめて飲んでいってよ」
「じゃあ、テレビ点けてもいいかな」
「何見るの?」
「いや…」
わずかな沈黙を待ってから、ふと思い出した、というふりをして、
「あ、今夜、オーストラリア戦だっけ」
意地悪な助け船を出したら、和良さんはきまりの悪そうな顔を私に向けた。
「いいよ、点けて」
テーブルの上のリモコンをあごで示し、キッチンに向き直ると、ステンレスケトルの表面にテレビの画面が歪んで映る。実況アナウンサーの低い声と、対照的にうわずった解説者の声。テレビのスピーカーから聞こえるスタジアムのがやがやとした歓声は、目の粗いガーゼみたいだといつも思う。
「なあユカ、ほんとにここでサッカー見てっていいの?」
和良さんが呟いた。私は答えるかわりに、冷蔵庫から缶ビールを一本取り出し、「コーヒーよりこっちがいいでしょ」と和良さんの前に置いた。それはずっと前に和良さんが置いていった、日本代表応援缶だ。ビールの賞味期限がどのくらいなのか、私は知らない。
◇
和良さんは私が二年前に働いていたドラッグストアのマネージャーだった人だ。
薬科大学を卒業して薬剤師の資格を取った二四歳の私が、大手の会社に就職し、最初に配属されたのが和良さんのいる店だった。本当は別の店に行くことが決まっていたのだけれど、和良さんの店に急な欠員が出て、その補充として新人の私が配属されることになった。私に任された仕事は、処方箋の調剤ではなくお客さんへの声かけやアドバイスだった。
和良さんはときどき持ち場に顔を出して、困っていることはないか、商品はもうおぼえられたか、私のことをよく気にかけてくれた。
はじめての職場で緊張していたこともあり、私はときどきミスをした。お客さんの質問に答えられずしどろもどろになったり、間違った商品をすすめて会計後に慌てて謝りに行ったり。薬剤師が頼りないとクレームをつけられることもあった。でも和良さんはそんなとき、怒ったり、ミスを責めたりしない人だった。私が落ち込んでいると、大丈夫だよ、と励まして、どこに問題があるのかやさしく教えてくれた。
勤めはじめてから二ヶ月くらいしてお客さんとの会話にも慣れ、接客のこつのようなものをつかんでくると、私はだんだんと仕事が楽しくなってきた。
「だいぶいい感じになってきたね」
和良さんはそんな私の変化に気づいて、ときどき褒めてくれた。嬉しかった。もっともっと褒められたくて、私は頑張った。早く信頼されるスタッフになりたいと思った。
ところが、私の前任者だった薬剤師が急に復帰することになり、私はわずか三ヶ月足らずで和良さんの店を去ることが決まった。会社の命令だからこればかりは仕方ない。
最後の勤務の日、お店の近くの居酒屋で小さな送別会をしてもらった。
六人ほどのスタッフが集まってお酒を飲み、それからカラオケに行って、最後は和良さんと、仲のよかったレジのパートの主婦と三人で安いバーに流れた。
私はしこたま飲んで、ずいぶんと酔っ払った。もうあの店の売り場に立てないと思うと胸がいっぱいになり、転属が理不尽なことのように思えてならなかった。
さびしいです、と言いながら、私はほんの少しだけ泣いた。まあ、ユカちゃんならどこの店に行っても大丈夫だよ。和良さんはそう励ましてくれた。
日付が変わる頃に店を出て、パートの主婦が自転車で帰るのを見送ってから、最後まで残った和良さんと私はおぼつかない足取りでふらふらしながら、駅まで並んで歩いた。
がらんとした夜の駅舎にたどり着くと、私が乗る下り方面の電車は終電間際で、和良さんの自宅がある上り方面の電車はすでに運行を終え、電光表示板が真っ暗になっていた。
「あれー、もう終わってんな。あ、そっか今日、土曜か」
ひと恋しさがやけに募る、肌寒い秋の夜だった。改札口で別れの挨拶を交わして、「じゃあ俺、もう今夜は店に泊まるから」と引き返しかけた和良さんの上着の袖を、私は咄嗟につかんでいた。
「もうちょっと飲んで行きませんか」
「でも、俺、事務所のテレビでサッカー見たいんだ」
「テレビなら私んちにありますよ」
「…。見たいのはBSだよ」
「見られますよ」
和良さんは日本代表と横浜マリノスが好きな、どこにでもいるサッカー好きのおじさんだ。終電に飛び乗った私たちは、その晩、ハーフタイムに結ばれた。
◇
和良さんはそれから、週に一度のペースで私の部屋にやって来るようになった。
最初の頃、私は喜んでもらおうとマリノスの青いユフォームをネットで買い、それを着て和良さんを待ったことがあった。胸元にプリントされたロゴは実家で両親が乗っている車のメーカーで、勝手に縁のようなものを感じたりもしていた。
ところが和良さんは部屋に上がるなり、そんな私の姿を見てひどく不機嫌になった。
「なにやってんの、それ」
「今度、一緒に応援に行こっかなーとか思って買っちゃいました」
和良さんはまがまがしい顔で首を横に振り、言った。
「連れてくとか、できないから」
スタジアムには、揃いのユニフォームを着た家族と、ホームゲームのたびに出かけて行くという。お弁当持参でゴール裏の二階席のいつも同じ場所から応援するのだそうだ。
私は寝室に隠れてユニフォームを脱ぎ、それをゴミ箱に押し込んだ。きっと喜ぶと思って合わせたトリコロールの下着も外した。完全に逆効果だった。
「奥さんも、娘さんも、サッカーが好きなんですね」
「ああ」
答えたくもない、というふうな言い方で、和良さんは短く答えた。
「じゃあ、私の部屋でサッカー見るの禁止にします」
勢いでそう言ったら、和良さんは平日にしか来なくなった。
◇
半年前のある晩、スマホに非通知の着信があった。出ると、すぐに切れた。それが三度続いた。和良さんの奥さんだ、と私は直感した。
日曜日、私は和良さんの家の固定電話に電話をかけた。マリノスのホームゲームの日なので、自宅がもぬけの殻であることを私は知っていた。
コール音の後、案の定、留守番電話に切り替わったので、私は十秒ほど沈黙を録音した。仕返しのつもりだった。でもなんだかそれだけでは物足りなくなって、テレビを点け、マリノスの試合中継の音量を大きくし、それをまた十秒ほど留守電に残した。
次の火曜日に私の部屋にやってきた和良さんは、「そういうことするなよ」と私を非難した。審判に抗議するサッカー選手のような情けない顔だった。
「サッカーなんか見に行かないでよ」私は言った。
「ねえ、私とサッカーのどちらかを選ぶなら、どっちがいい?」
そんなつもりではないのに、サッカー、という単語が、奥さん、に置き換えられるのが不思議だった。和良さんは答えなかった。
「ふうん」私は拗ねた。
たぶんあのとき、すでに私と和良さんは終わっていたのだろう。
でもそれからも私たちは週に一度は会って、短い時間でも必ずベッドで抱き合って、そして別れるということを繰り返した。それは、審判が時計をのぞくのをうっかり忘れてしまったような、くだらない、無意味なロスタイムだった。
◇
ふたりでソファに並んで座り、私はコーヒーを、和良さんはビールを飲みながら、日本とオーストラリアの試合を眺めた。
サッカーを見ているあいだの和良さんは、何もしゃべらない。微動だにしない。じっと試合の様子を見つめている。私は和良さんの肌に触れるかわりに、ソファの上のクッションを抱いて、それを撫でたりつねったりしていた。
ロスタイムの終わりを告げる主審の笛を聞いて、私も和良さんも、ふう、と大きなため息を吐いた。これから監督インタビューがはじまろうとしている。
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
和良さんは立ち上がり、缶の底のぬるいビールを喉に流し込んだ。用が済んだら帰る。それはいつものことだった。
「今度から、私の部屋でサッカー見ていいよ」
私はクッションを抱いたまま、和良さんの顔を見ずに言った。
和良さんの好きそうな言葉で表現するなら、これは私なりの、マリーシア、というやつだ。今さら時間稼ぎなんかしても、どうしようもないことはわかっているけれど。和良さんは私をじっと見下ろした。何も言わなかった。
「だから、また来る?」
ロスタイムの逆転なんて劇的なことを私は信じない。だけど、ロスタイムはいつまでも終わらないままで構わない。そして、その終わりが人生の終わりならいいとさえ思う。どうして私はこんな窮屈なところに追い込まれてしまったんだろう。
「ああ」
和良さんは短く答えた。私は知っている。この人はサッカーも好きだけど、それと同じくらい、私の身体が好きなのだ。私はコーヒーをひとくち飲んでから、息つぎをするように言葉を吐く。
「やっぱ、サッカーが好きなんだね」
和良さんは表情のない冷たい顔で、好きだよ、と答えた。
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Written by Masashi Fujita
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