#14

ザックと彼女と僕の四年
Four years between South Africa and Brazil

読了時間:約5〜10分

 すうすうと、織絵は寝息をたてはじめた。
「大丈夫、ワールドカップだし、あたしちゃんと最後まで見れるから」
 試合がはじまる前はそう言っていたものの、本田圭佑がコートジボワールのゴールネットに至近距離射撃のような鋭い先制ゴールを突き刺してから三十分。眠いまなこをこすりながら眠るまい眠るまいと頑張っていたが、ベッドに横になったが最後、ついに力尽きたようである。
 前半を終えてロッカールームに引き上げる選手の姿を見ながら、僕はテレビの音量を下げて、薄い掛け布団を織絵の肩までそっと引き上げた。
 
 日曜の午前。
 テレビの画面にかかる日差しをカーテンで遮ると、東向きのシングルルームは厚い雲に覆われたような不穏な暗さに変わった。
「試合が終わったら起こすから、一緒にうまい昼飯でも食いに行こう」
 胸の内でつぶやく。僕が彼女に与えられる思いやりは、それが精一杯だ。
 
 ◇
 
 金曜から週末を挟んで月曜までという、不自然なスケジュールの僕の東京出張に、今回も織絵はついてきた。
 ついてきた、といっても、これまでと同じように別々の時間、別々の特急電車、ホテルは同じでも予約は別々。支払いも、僕は会社の経費だが彼女の場合は自腹である。
 
 会社の受付事務を担当してる織絵との関係は、かれこれ四年になる。
 落ち合うのはいつも僕の出張先と決まっている。僕と妻は職場結婚だったから、(妻はもうとっくに仕事を辞めたとはいえ、)僕と織絵の関係が会社の人間に知られるのはいろいろとまずい。
 今回も、織絵は通常の土曜出勤を終えた後の特急電車に飛び乗って、前の日から出張に出ている僕を追いかけてきた。
 東京駅に着いたのは夜の十時過ぎ。それからホテルにチェックインして部屋で抱き合い、日付が変わってから近くのバーで腹ごしらえをして酒を飲んだ。ホテルに戻ってきたのは深夜の二時を過ぎていた。
 
「あー、私、寝ちゃってた」
 振り向くと、織絵は目を覚まし、半開きの目で前半のハイライト映像を見ている。
「まだ前半終わったとこ。寝不足だろ、寝てていいよ」
「勝ってる?」
「勝ってる。後半がはじまったら起こしてあげるから」
 
 ◇
 
 織絵とはじめて深い関係になったのは、ワールドカップが南アフリカで開催された年だから、四年前のことだ。
 会社のサッカー好きの男女を集めて、パブリックビューイングに参加したとき、メンバーの中にいたのが織絵だった。
 
 試合が終わってみんなで酒を飲み、サッカーと仕事の話で盛り上がった後、帰り道が同じ方向だということで、酔いつぶれた彼女をタクシーに乗せた。そのときの僕には下心なんてなかった。彼女をマンションの前まで送り届けたら、そのまま家に帰るつもりだった。
「試合見てる阿部さんの横顔、あたし、ずっと見てたんですよ」
 マンションが近づいたとき、タクシーの中で彼女が僕の手を握った。下心があったのは、彼女の方だった。
 
 ◇
 
 南アフリカからブラジルへの四年間。
 僕と織絵の関係は、アルベルト・ザッケローニと日本代表の蜜月とまったく同じ時間の経過をたどっている。
 織絵は来年、三十歳になる。おそらく僕は、ひとりの女性の二十代後半の貴重な時間をまるごと無駄にさせてしまった。でもそう言ったら、織絵はきっと怒るだろう。
「阿部さんは、罪悪感とか感じなくていいから。あたしが、あたしのために好きでやってることだから」
 織絵の部屋に僕が立ち入ったのは最初の夜の一度きりだった。以来、ふたりきりで会うのは月に一度か二度、僕の出張先のホテルと自然と決まっていった。東京、大阪、仙台、名古屋。支社のあるそれらのどこかの街。
 織絵は、僕が交通費や宿泊費を渡そうとしても受け取ってくれない。
「あたしが会いたくて阿部さんのいるところに勝手に押しかけてるんだから、あたしが払うべきお金はあたしがちゃんと払います」
 織絵は僕と恋人同士であることを望んだ。愛人と呼ばれるような存在にはなりたくない。口にせずとも、その気持ちは痛いほどに伝わってきた。
 だから僕も、織絵との関係が深まるにつれ、ふたりの時間を大切にすることに努めた。織絵といるとき、僕は会社のことも妻との結婚生活のことも、それに付随して僕自身に「役割」として求められている不妊治療のことも、何も考えずに済んだ。その時間は僕にとって、特別に許された癒やしの時間だった。
 せめて食事代だけは、「これは男のマナーだから」と無理矢理納得させて僕が払った。彼女の気持ちに応えるために、せめて美味しいものを食べさせようと、毎回ネットで念入りに下調べをした。そんな四年間だった。
 
 ◇
 
 後半の日本代表の動きはひどく鈍かった。
 ザッケローニのサッカーの特徴は攻撃の連動性のはずだが、選手の動きにはキレがなく、ひとりひとりの動きがバラバラに見える。守備の面でもプレッシングがうまくはまっているようには思えない。雨に濡れそぼったユニフォームが、選手の身体をより重たく感じさせていた。
 
 後半の途中で、一点を追いかけるコートジボワールは中盤の選手を一枚減らし、世界屈指の体格を持つストライカー、ディディエ・ドログバをピッチに送り込んだ。この交代でスタジアムの雰囲気が変わったのが、画面を通してもよくわかった。フィジカルの強さで圧倒的に有利な前線に、その高さと強さを生かすクロスボールを放り込んでくることは明らかだった。嫌な予感しかしない。
 
 そしてドログバが投入された二分後、予感は的中し、呆気なく同点ゴールが決まった。
 右サイドの浅い位置からのシンプルなクロスに、ボニーが飛び込み頭で合わせる。さらにその二分後、同じような位置からの同じようなクロスに、今度はジェルビーニョが飛び込み、逆転。
 思わずのけぞるような、「やられた!」という感覚ではなく、「やられるべくしてやられた…」という諦めの気持ちで僕はそれを見ていた。すでに走ることに疲れ切った日本代表に、アフリカの野獣たちに抗うだけの「インテンシティー」はもう残されていない。
 
 試合の残り時間、僕は、どうしてこのチームがこんな簡単に、惨めな負け方をしなきゃいけないんだろう、と考えた。
 ザッケローニのサッカーには明確なスタイルがあった。本田、香川、遠藤、長友らで構築する左サイドの小気味よいコンビネーションを軸に、攻撃的なパスサッカーで相手を凌駕する。アジアでは怖いものなしのそのサッカーはとても魅力的だったし、なかでもベルギーやオランダとの親善試合は胸を躍らせるものだった。
 しかしその「自分たちのサッカー」がひとたび失われると、チームはあまりにも脆い。そして日本の「自分たちのサッカー」を奪ったものはといえば、スポーツにおける最もプリミティブな要素である、強く速く大きな者が勝つ、という、当たり前の常識だったのだ。
 
 ◇
 
 四年もかけて、結局これか。
 
 後半の残り時間がわずかになったところで、僕は日本が同点に追いつくことをあきらめ、織絵のそばに身体を横たえた。四年かけて、結局  。胸の内でつぶやいてみると、それがそっくりそのまま、僕と織絵の関係を言い表していることに気づく。
 
「あたしは、あたしが阿部さんと一緒にいたいからいるの。迷惑になったら言って」
 織絵のその言葉に、僕はずっと甘えてきた。
「あたしがこれでいいんだから、あたしたちはこれでいいの」
 自己責任の恋愛。それが自分たちのあり方だと、僕は無責任に信じ続けてきた。
 言ってみれば、自分たちの恋。でもそれは「常識」や「良識」のようなものの前では、誰にも認めてもらえない。
 
 ◇
 
 四日前  木曜日の夜だった。
 会社で出張の準備を整えてから、いつものように自宅に帰ると、妻が珍しく食卓にワインを置いた。グラスがひとつしか用意されていなかったので、僕がもうひとつを食器棚から出そうとすると、私はいらない、と妻は言った。
「どうして」
「しばらく、お酒は飲めないから」
 僕が気づく前に、妻はエプロンをかけた腹の上にそっと両手をおいた。
「え、もしかして」
「三ヶ月だって」
 妻は三十九歳。結婚してから十年目になってようやく訪れた、待望のときだった。
 僕は妻をそっと抱きしめ、よかった、と耳元でささやき、首筋に顔を埋めた。もうすぐ母となる妻の身体の匂いに、僕はそのとき、遠い旅から帰ってきたような安堵をおぼえた。
 
 ◇
 
 グループリーグの初戦で敗れたら、決勝トーナメント進出はもう難しいだろう。散りゆく日本代表に背を向けて、僕は布団をめくり、その中にもぐり込んで、まるで二重括弧のように織絵の背中に張りついた。
 
 昨日の夜、織絵の肌に触れた僕のこの手が、はじめて、不潔なものに感じられた。僕の手が汚いのか、それとも織絵の身体が汚いのか、それはわからない。とにかく僕は、僕と織絵の接点にはじめて、不自然な、穢らわしさのようなものを感じてしまったのだ。
 
 そのときの感覚を確かめるように、僕は手を伸ばし、眠っている織絵の手の甲を覆い、そっと握った。
「ん、阿部さん」
 枕に半分顔を埋めたまま、織絵が甘い声をもらす。そして手のひらを返し、僕の手をぎゅっと握り返した。ところが僕の手は、途端にすっかりよそよそしくなり、彼女の愛をもう一度握り返すことができない。
「試合、勝ってる?」
「負けてる」
「うそ」
 僕は試合経過を確かめるために振り返ってテレビを見た。雨に打たれるザッケローニが画面いっぱいに映し出されている。ひどく孤独で、悲愴な、敗軍の将の顔。
「もう、終わりにしよう」
 そう口にすると、ホイッスルが鳴った。

FOOTBALL SHORT NOVELS COLLECTION :
FOOTBALL AND LOVE SONG
Written by Masashi Fujita

memo

2014年ブラジルW杯の日本代表の記憶でいちばん印象に残っているのは、雨のレシフェ。ザックが呆然とピッチサイドに立っているシーンです。この試合、日本代表の選手たちは明らかに身体が重かった。あれ?日本代表はこんなもんじゃないはずなのに…とずっと思い続けて、先制しても不安でしかたなく、いつやられるかいつやられるか、ハラハラしながらテレビを見ていたのを覚えています。日曜日の午前でした。試合が終わって、「ベルギーやオランダとあれだけいい試合をしたチームの大事なワールドカップの初戦がこれか!?」「どうしてあれだけ連動するサッカーを積み重ねてきて、なんで今日連動しないんだ!?」「コンディションどうなってんだ!?」とテレビの前で腹が立ってしょうがなかった。それだけ、大きな期待をしていました。ザックの日本代表が好きだった。ザックの喜ぶ顔が見たかった。せめてドローで終わっていたら、あの大会の日本代表は全然違う結末を迎えていたんじゃないかと今でも思います。